昨日の続きとして喜怒哀楽の人間学を見て行きます。
以下は喜怒哀楽の人間学からの紹介です。
「人間をかえる学問」とは何か。 それは「心性の学」であり、「人間学」である。
客観主義的な朱子学に対して「知行合一」の陽明学を樹立した王陽明[中国明代の思想家]が弟子の王純甫に与えた手紙は、この「心性の学」「人間学」を明確に規定している。
「天下ノコト、万変ナリトイエドモ、吾ガ之ニ応ズル所以ハ、喜怒哀楽ノ四者ヲ出デズ。 此レ、学ヲ為スノ要ニシテ、而シテ政ヲ為スモ亦、其ノ中ニ在リ」
[人生は千変万化、いろいろさまざまであるが、自分がこれらの問題をテキパキと処理できる理由は「人生のいかなる変化も、つきつめれば、喜怒哀楽の四つを出でないこと」を知っているからだ。
よく考えれば、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむか、ということが人生のすべてである]
世の中には、道徳というと「一切、喜怒哀楽を表面に出さない、感情などには動かされないことだ」などと頑に信じ込んでいる向きがあるが、これはとんでもない誤解である。
人生とは、いかに喜び、いかに怒り、いかに哀しみ、いかに楽しむかということ―
つまり「いかに生きるか」ということに「正しい自律」をたてること、「原理原則」をもつことである。
そして、この「正しい自律」や「原理原則」これが「心性の学」であり「人間学」である。
この陽明学を日本で樹立したのは江戸時代の初期、「近江聖人」とよばれた碩学、中江藤樹で、この王陽明の規定を裏から説明している。
「順境にいても安んじ、常に坦々蕩々として苦しめる処なし。 是を真楽というなり。
萬の苦を離れて、此の真楽を得るを学問のめあてとす」
われわれが人物論をやる場合、「これは一廉の人物」と評価するメルクマールがある。 「夷険一節」(いけんいっせつ)という言葉だ。
「夷」は「たいらか」と訓(よ)み、「順境」のこと。 「険」は「危険」の険だから「逆境」である。 「順境」でも「逆境」でも全くかわらない人物、つまり「真楽」を身につけた人間のことである。
ホイットマン(アメリカの詩人)のいい詩を思い出した。
世界中の誰もが自分を賞揚しても
私は独り静かに満足して坐っている
世界中の誰もが私を見捨てても
私は独り静かに満足して坐っている
今日は以上です。