年を取るのが楽しい。

毎日が楽しいから。

 

 

それはきっと、

「生きているのが楽しい。」

という意味になる。

幸せだから。

どうなっても、悪いようにはならないんだなって

実感したから。

 

 

外の世界ではなく私の中にパワースポットがあり、

世界は自分がつくってるって

ゆっくりわかってきたから。

 

 

 

 

子供のころ、

自分の見えている部分以外は存在しなくても、

わからないよな。って思っていた。

 

TVや本に出てくる外国も、そこに住んでいる人も

地図上にある東京とかほかの街も

なんなら、あの角を曲がった先が

本当はなにもないブラックホールになっていても

いつも前を通りかかる知らない人の家に、

日本人じゃなくて宇宙人が住んでいたとしても

 

自分の目に映っていない部分は

存在しているかどうか、確かめるまではわからない。

「常識」で考えられているようになっているとは限らない。

 

自分が感知しているものが

この世界なんだ。

 

そう、なんとなく考えていた。

大きくなるにつれて薄れていった考えだったけど、

最近また、思い出した。

さとうみつろうさんの「神様とのおしゃべり」に書いてあった。

 

 

「この世界を作っているのは自分自身」

 

 

うそ、やっぱりそうだったんだ。

そう思った。

 

 

だからと言って、あのいまいましく感じる人までも

自分が作り出してきたと

とらえられるようになるには時間がかかる。

正直、普段は忘れてる。笑

 

 

けど、

あの人のために・みんなのために

をいったん抑えて、

「自分のために」を増やして

「自分がどう感じてるのか」に注目する習慣を意識したら

 

自分に優しくなった。

そしたら、

世界の流れが優しくなった。

 

優しくなった。と感じられるようになった。

 

 

 

気持ちの上がり下がりがある中でも、

基本状態が

「幸せ」

になった。

「基本状態・幸せ」に戻るスパンが

短くなった。

 

 

その「幸せ」は、

「幸せうっひょ~~~~ワーイヽ(゚∀゚ヽ 三 ノ゚∀゚)ノワーイ」

じゃなくて

「あ、幸せだ。真顔くらいの

淡々と、いつも持ち運べるサイズのやつ。

 

 

 

 

ナイスバディじゃないし、

顔も薄くて左右対称じゃないとか

コンプレックスは山のようにあるけど、

自分と一緒にいるのが楽しくて好きになった。

私が、「人のため」よりも「自分のため」を優先して

くれるようになったから。

 

 

好きな自分が選んだ世界なら、

大丈夫なんだなって思えるようになった。

 

それなら、

イケてない部分が次々にみつかる

パートナーだなって思ってたけど

この人は大丈夫なんだなって思えるようになった。

 

 

 

 

安心

幸せ

大丈夫♡

 

 

 

足りないものはない。

欲しいものはたくさんあるけど。笑

 

がんばって不安がることもない。

ただ、いい気分になることを考える。

自分の気持ちと感覚に意識を戻す。

 

 

 

 

 

 

 

「いま」の連続が人生。