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KOのイタリア留学日記

日本とは違う海外での生活。日々感じたことをマイペースに更新します。

イタリア語の文法の中に「接続法(congiuntivo)」という文法があります。ここではあまり詳しい説明はしませんが簡単に言うと「話者が頭の中で考えたこと、{希望、想像、疑問}などを主観的に表す」表現です。例えば「私は~に-して欲しい」「~は-だと私は思う」など客観的な事実に基づくものでなく主観的な判断による言葉の表現するときに使う文法です。


話がそれますが、イタリア語(おそらくラテン系の言葉全般)は動詞の形が物凄い変化します。例えば「行く」という単語である「andare」の場合、1人称である「私」の時は「vado」、「あなた」の時は「vai」、「彼、彼女」などの3人称の時は「va」といった風です。これが「私たち」「あなたち」でも形が変わり、過去形、未来系、前述した接続法でもそれぞれで全て動詞の形が変わります(もちろん例外はあるにせよ「法則」という物はあるので法則を覚えてしまえば応用的に考えていくことは可能です)


物凄い複雑な感じがしますが(実際複雑です。。。)逆に言うと動詞を見ただけで人称と時制がわかるというメリットもあります(日本語だと「行く」といっても誰が?ってなりますよね。まぁ、日本語というのは「相手に察せさせる」という事に長けた言語なので言わなくてもわかる場合もあるとは思いますが・・・)


話が戻ります。


この接続法。文法の勉強でもかなり後で学ぶのですがやっかいです。語学学校でもペラペラの外国の友人がこの接続法にだけは苦労していました。今ブログを書きながら思ったのですが何が難しいんでしょう?(いきなり意味わかんなくてすいません。。。)ただ漠然と難しいと感じていましたが、よくよく考えてみると動詞の形が変わるだけですw

形が他の動詞の変化と違うというのと、他の言語にはない独特の文法だからでしょうか(日本語はもちろん多分英語にもないですよね?)もうちょっと原因を考えてみたいと思います。


僕自身も考えて文章を考えれば使えるとは思いますが、会話の中で自然に出てくるということはまずありません。。。まだまだ時間が必要です。


接続法を勉強し始めた頃イタリア人の友人に「接続法が難しいんだよね・・・」と言った所、「イタリア人でも使えない人いるよ。」と驚きの返事が返ってきました!


理由を聞いてみると「難しいから」との事。特に若い人だそうです。何かイタリア人がイタリア語使えないなんて物凄い変な感じがしましたが良く考えてみると日本語でも特に若い人は「敬語」を上手く使えない人いっぱいいますよね?僕もちゃんとした正しい敬語が使えるか自信ないですし目上の人に対するメール等を書くときはいつも考えてしまいます。


また話がそれますが日本にいる時に学校で「英語」今は「イタリア語」を勉強していて「日本語」という言語がいかに特殊で他にない言語かという事を実感しています。文字は中国が似ていますが発音はどこにも似た所はないですし文法も特殊(他の言語に比べて制約が少ないというのを聞きます)、敬語という部分が異常に発達している等など。。。文字、文法という表面の部分以外にもその表現の特徴なども他にはないと聞きます。


そう考えると日本語を学んで完璧に話している人がたまにいますがあの人たちは本当に天才だと思います。頭がいいだけでなく外国語を学ぶセンス、価値観の違いも含めて受け入れる頭の柔らかさなど外国語を理解するというのは本当に難しいです。文化、人種の違いとは言語の違いからも来るのではないのかと思います。僕は自分がしゃべっているイタリア語をあまり客観的に見られないのではっきりとは分かりませんが、おそらくイタリア人からしたら「お前 行ったですか 公園に」とか「私はこれのが欲しいです」とかそんな風にしゃべっているのではないかと思います。


何か話しがそれまくりですが・・・。


この接続法もしっかり使えるようになりたいです。イタリア人で使えない人がいるといっても日本人の若い人が敬語をあまり使えないのと同じように社会に出て許されることではないでしょうし・・・。ただ日本にいた頃の受験勉強の仕方のせいかどうしてもいつも知識が先行していまう自分がいます。学校でもよく「文法ならKOに聞け」みたいな感じでしたしw知識としてインプットしたものをアウトプットしていかないと本物にはならないですよね・・・。通訳になりたいわけではないのですが言語をしっかり理解するというのはその国を理解するのにもつながって行くのではないかと思います。


大好きなイタリア。まだまだ知らないことばかりです。