今日は、よく楽しく拝見させていただくブロガーさんのブログに
晴れの日は
枝が伸びる。
雨の日は
根が伸びる。
という、福島正伸さんという方の言葉が紹介されていて
とても素敵な言葉だな、と思いました。
今日、実際に東京は雨が降っていますが
雨の日には
根が伸びる。
特にここに想いを巡らせてみました。
植物というのは
ただ闇雲にその根を伸ばしているわけではなく
やはり地下の水源に向かって根を伸ばすもの、
ではないかと思ったりします。
根がその水源に届けば
たとえ雨が降らなくても、
植物も心から安心していられることでしょう。
人も、同じ。
心の内奥にこの水源を見いだしていれば
たとえ外界がどんなであろうと
心穏やかに過ごすことが出来る。
そんなことを思いました。
ついつい外界のことの方に意識が向きがちはありますけれど。
聖書の一節に、次のようなイエスの言葉があります。
「わたしが与える水は、その人の中で
永遠の命を与えるためにわき上がる水の泉となるのです」
<ヨハネ4:14>
この水の泉がどんなものであるのか
私にはまだよく分かりませんが
もしかしたら、あれもそうだったのかな、と
思えるような体験をしたことがあります。
以前、私の父が脳出血と脳梗塞を併発させて危篤に陥り
助かる見込みはないと医師から伝えられたことがありました。
幸い奇跡的に父は回復したのですが
危篤状態から脱出してもまだ意識が混濁しがちだった父。
私は父の脳の機能が少しでもよくなるようにと
父の足の裏のツボを圧す、ということを日課にしていました。
ある時、いつものようにツボを圧していたら
自分のうちからなんとも言えない喜びのようなものが
沸き上がってきて来たのです。
弾けるような快活なエネルギーが沸き上がってくるような
なんとも言えない気持ちよさを覚えました。
今思うとただ無心にツボを圧していたように思いますが
無心になって何かを一生懸命にする。
それが誰かの益に役立っている時
そんなエネルギーが湧いて来るのかな、と思いました。
人はそれぞれ内面において
宇宙から限りなく降り注いでいる膨大なエネルギーと
繋がることが出来る。
そしてそれには無心であることが肝心。
難しいと思えば難しく
簡単と思えば簡単なことかも知れない。
雨の今日は、そんなことを思いました。
晴れの日は
枝が伸びる。
雨の日は
根が伸びる。
という、福島正伸さんという方の言葉が紹介されていて
とても素敵な言葉だな、と思いました。
今日、実際に東京は雨が降っていますが
雨の日には
根が伸びる。
特にここに想いを巡らせてみました。
植物というのは
ただ闇雲にその根を伸ばしているわけではなく
やはり地下の水源に向かって根を伸ばすもの、
ではないかと思ったりします。
根がその水源に届けば
たとえ雨が降らなくても、
植物も心から安心していられることでしょう。
人も、同じ。
心の内奥にこの水源を見いだしていれば
たとえ外界がどんなであろうと
心穏やかに過ごすことが出来る。
そんなことを思いました。
ついつい外界のことの方に意識が向きがちはありますけれど。
聖書の一節に、次のようなイエスの言葉があります。
「わたしが与える水は、その人の中で
永遠の命を与えるためにわき上がる水の泉となるのです」
<ヨハネ4:14>
この水の泉がどんなものであるのか
私にはまだよく分かりませんが
もしかしたら、あれもそうだったのかな、と
思えるような体験をしたことがあります。
以前、私の父が脳出血と脳梗塞を併発させて危篤に陥り
助かる見込みはないと医師から伝えられたことがありました。
幸い奇跡的に父は回復したのですが
危篤状態から脱出してもまだ意識が混濁しがちだった父。
私は父の脳の機能が少しでもよくなるようにと
父の足の裏のツボを圧す、ということを日課にしていました。
ある時、いつものようにツボを圧していたら
自分のうちからなんとも言えない喜びのようなものが
沸き上がってきて来たのです。
弾けるような快活なエネルギーが沸き上がってくるような
なんとも言えない気持ちよさを覚えました。
今思うとただ無心にツボを圧していたように思いますが
無心になって何かを一生懸命にする。
それが誰かの益に役立っている時
そんなエネルギーが湧いて来るのかな、と思いました。
人はそれぞれ内面において
宇宙から限りなく降り注いでいる膨大なエネルギーと
繋がることが出来る。
そしてそれには無心であることが肝心。
難しいと思えば難しく
簡単と思えば簡単なことかも知れない。
雨の今日は、そんなことを思いました。