こんばんは。
仕事や時間に追われこの時間になってしまいました。これから更新していく中で
児童養護施設の話や色々な話をする上で
何故?私がこうして施設に入り
こうした人生をおくる必要があったのか。
先ずはそういったところから話をしようと思います。
私の家系は元々4人家族でした。
父、母、姉がいて何気無い毎日がとても幸せに感じていたものと思います。
正直、その頃の記憶は本当に断片的な物が
何個も連なっているようにしか覚えていないところもあります。
私は非常に体が強く
大きな病気やインフルエンザですら
かかった記憶が無いくらい丈夫な身体で母が産んでくれました。
大きめのハイエースで送り迎え、
家に帰って猫と母がお出迎え。
「おかえり!」こんな日が私にもあったと思うと
不思議なくらいです。
今は連絡を取れる人は1人もいません。
顔や声、印象などは一つも覚えていません。
父と母は離婚し
母は私と姉を叔母の家に預け
自分の幸せの為に男を取りました。
私は種違いで生まれ父親が姉と違く
離婚の原因や一方的な理由を全て押し付けられ
たのが原因で母方の叔母に気に入られてなく
家では一人ぼっちでした。
二階の狭いロッカーを挟んだ1室にて毎日隔離されていました。
遊び相手はベランダに投げ捨てられた
お飯事、姉がなんども読んでいたようなボロボロの本。
学校から帰るのも嫌でした。
同じような服を着て勝手に家を出てみては
鍵なんて無論開けられることもなく
誰が買ったかもわからないリュックサックも背負わずに学校に行ったこともあります。
ランドセルを買ってもらった記憶も無く
入学式で私だけボロボロのリュックサックを背負い、親も来ない中みんなの幸せそうな顔を見ながら満開に咲いた桜道を帰ったのを覚えています。
そしてある日こんなことが起こりました。
そこの学校では親子運動会が一大イベントに
なっており、親子リレーから二人三脚やお弁当大会などを行うものでした。
いまは珍しいですが当時はお昼ご飯などを
親子で食べるのが名物になっていました。
私自身さすがにくるだろうと思っていた前日の夜
母と叔母がとてももめていました。
母は叔母に土下座をし私の運動会に行くようお願いしていました。
母の土下座は私がかわいそう、寂しいと思うから
といった理由ではありません。
面子が立たない。叔母に対して私は今の男に迷惑をかけられない。私の幸せを優先してほしい。といった土下座でした。
私は今でもこの日を忘れたことはないです。
当日私は副担任の先生と二人三脚に出て
お昼を教室で先生と食べ先生にもらったグミの事について運動会の日記として学校に提出しました。
ドラマでよくある光景ですが
これは本当に起こりえるんです。笑
この日以降母は極端に家に戻らなくなりました。
母に会えるのは3日に一回が良いところ。
それも泥酔してはっきりと私と認識できてるのかもわからない状態がとても多くあってるとは言い難い状況でした。
私は一度寂しさから万引きをしたことがあります。
もちろんすぐに見つかりました。
その際も迎えは姉が来て私は朝ごはんも出なくなりました。
そして迎えた私の誕生日。
初めて祖母の家のリビングのソファーに
座った時。2枚の紙を渡されました。
児童養護施設の要項と
父親の親権についての紙の二枚。
当時この紙については分かりませんでしたが
のちに姉から聞きました。
叔母は表向きは万引きした事による処置
と言っていましたが父親の血を継いでいる私を家に置いて同じ空間にいる事がとても不快だった
と言うのが1番の理由でした。
私は友達が多くできそうという理由で
児童養護施設を選んだそうです。
いとこも母方のいとこということで
全く隔離されていた私にもう今場所はどこにも無かったものと思います。
児童養護施設に入る前に
児童相談所と言われる所に一度入り
空き状況や親の待遇等によってこの先どうするのかを決める所にまず入り
私はとある児童養護施設(施設)に入りました。
そしてその日付き添いで来た母は私にこう言いました。
「必ず迎えに来るから。」
私はそれ以降、母に会ったことはありません。
赤いロングコートに黄色い財布がお気に入りの母。
母に似た高身長。
成人して仕事をしていながら
私は未だに戸籍は母の所に入っています。
今でも思います。元気でやっているのか。
私が頑張ってきた事を母は褒めてくれて
あの時みたいに頭をポンポンしてくれるのか。
私は当時母と別れた後
2時間ずっと泣いていたそうです。
そんな事記憶にはありませんでしたが当時の日誌に残っています。
2003年5月30日
この日を境に私は新しい人生に歩き始め
児童養護施設に入り、
最も大事な人を失った日になりました。
私はこれを書いて私が被害者だ。
と言うつもりは一つもありません。
これを書いた事。そして見てもらう事で
より児童養護施設の素晴らしさ、
またいかにしてここまで生きてこられたのかと言うのをより感じて貰いたいです。
つい最近姉とも連絡が取れなくなりました。
ただそれも良いんです。と思える繋がりが他にもできた。そういった何事にも代え難いものが沢山あると言うのも明日以降伝えていけたらと思います。
7歳で全てを捨て、己自身が捨てられた人間が
