観て・・・雲じゃなく 噴煙の塊よ。ザラザラしちゃう。風に吹かれて 飛んでいく。🚙や葉っぱ・屋根・etc
灰で染めちゃう。・・皮膚に付くとチクチク。痒くなる。🙀
お昼から三時まで これ観てる。 報道番組はスマホで・・・
三時以降は、CSI NY
TVばかり見てませんよ。 ちゃんとお勉強してるよ。📕✒✏
私はTVは外出中以外はONのまま。 消したりつけたりが嫌だから。
なぜ 生んだ時間から 育児放棄・・したのか。・・
実母は「母親っ子」で 育ったそうです。 中学時代に原因不明の「失明」を。・・
それからは「母親にべったり」生活。母の傍には常に「お母さん」がいたそうです。
そう 実母にとれば「母親」は 絶対的な存在だったそうです。
私にとれば「祖母」です。
結婚しても実母は「母親」を常に思い 慕う。・・・勿論 母親も甘えさせていたそうです。
私は8月18日生まれ。・・・真夏。 実母の母親が 他界したのが8月14日。
そう 私が産まれる月です。 勿論 産み月ですから 実母は葬儀にも野辺送りにも参列できません。 どんなに辛かったでしょう。 悔しかったでしょう。 悲しかったでしょう。 この時から実母は生まれてくる私がとても「憎い」存在になった。
産声をあげた私に 一切触れることもせず。叔母に言ったそうです。「抱けない。顔もみたくない。何処か連れていって。」と。・・・それっきり・・・
実母は一度も私には 触れず 一度も逢いたいと言わず・・・・
私は叔母の家に。・・・・会いに来るのは「父親」だけ。・・・
成長して父親の家に行っても 冷たい目線で私を睨みつけて 居ずらい状況でした。「おかあさん」とも呼ばせなかった。 小さい妹は母の膝に抱き抱えられてニコニコ笑顔でした。 その日から 私は父親の家には行くことをやめました。 冷たい目線が突き刺さる怖さがあったから。 二度と会うこともなくなった。
何故 私が悪いのか? なぜ おかあさんとよんではいけないのか? 理由すら知らず。・・・・理由を知ったのは小学4年でした。
育ての親「叔母」が教えてくれた。
誰も憎んだり 恨んだりしちゃダメと言う前置きをして・・・実母は「母親っ子過ぎたんだ」と。・・・わけわからんけど 実母は産まれる4日前からお腹の中の私を我が子として認めない。そして産んで捨てた。それだけ分かった。
私は育ての親「叔母」を「叔母さん」と呼んでた。おばさんがそうさせた。「叔母さんだから」です。 多分 実母が気持ちが変わる事を期待してたんでしょう。
叔母が言ったように 憎みもせず・恨みもせず 大きくなった。 この世に産み出してくれたことに「感謝」して・・・大きくなって現在です。
みんな「可哀想に」と言ったらしいけど・・叔母は可哀想じゃない。私たちが居るんだから。父親も居る。何が可哀想だよ。幸せだよなーって笑顔で煙草吸いながら言ってたよ。 そう 私は 父親が愛情いっぱいくれた。それだけで十分。
だから 可哀想じゃないんです。
これが 実母が私を嫌い 捨てた理由です。