まだ書いてないのに面白くないと思ってしまう。


これって「書かなきゃわからない」か「書く前に面白くなければ、結局面白くない話なのだ」のどちらなのでしょうか。


「面白くなるように書く」のがいいです。

最初の設定にかちかちになることはないのです。

人物の性別を変えて口調を変えるだけでも物語を変えることは出来ます。


時にはどうしてもこだわっていて書きたいシーンがある為に(流れを妨げる、不自然、力入りすぎ等など)、

面白くないなんてこともあります。

思い切って、全体のストーリーからそこを切り取って、別のものとさしかえる。

思い切って、そのシーンだけ残して、他を再構築する。

きっと何を書きたいかがそこでも判断の基準になるのでしょうね。

切り捨てるに捨てられないとき、それよりももっといいシーンがある可能性を忘れてはいけない。


以上、覚書。

前回の記事「在る触れる」(テーマmemo)にコメントを頂いたことをきっかけに、

あの記事が小酉のどんな思いから、つらりと書かれたのかを書いてみました。

本当に何気なくふと思い浮かんだことですが、


「在る触れる」コメント欄の<『在る触れる』分解中>


よろしければ読んでやってくださいませ。

罪になれと、あなたは頭を抱えた。

苦しみはどこからやってきて、あなたを濁してしまうのだろう。

この手に清浄な力があればよいのに。

触れるだけで癒すことができればいいのに。

声が出ない。

内にある言葉は選ばれない。

私は傍らにひざを落とした。唇を噛んで両手でじわりと頭を抱えて軋む腕を掴んだ。

きつくきつく掴んで、あなたの望む世界から引き離そうとしていた。

そうする私を責めてもいいから。

 いっそ罪と言われれば、自分の身の置き場も地獄とすることが出来る。

 それなのに人々は責めないことでそれを許さない。

 自分の苦しみはここにあるのにどこにもあれない。

次々こぼれだす歪み。

私が頷くごとにその淀みを取り除けないかと無力にも思う。

苦しみがこの手で触れることの出来ない存在であることを呪う。

そうしてから私まで濁りにまぎれてはいけないと、目を開き、

あなたの今の全てを見届けようと呼吸を深くした。


たこやき食べにいかへん?


友達に誘われて、携帯と財布だけジーンズにつっこんで外に出ました。平日の午後二時。

陽射しが暑いです。体の芯に突き刺さってそこからじわじわ暖めてくる。

風がね、まだ冷たくて体を表面から冷やしてくるから心地よい。そんな日和でした。


彼女とは中学一年生からの友達です。

そして今一番創作を語り合える人です。


いい天気だねぇ。やっぱ田舎の風と都会の風は違うんよ。都会には住めへんなぁ。


待ち合わせ場所はお互いの家の中間にあるバス停。いつもの場所。

ずっとパソコンをいじっていたから外の空気を吸いたくなったといいます。

6,7時間はそりゃきついっすよ。

ああ、私も気持ちいいや。知らず晴らさなきゃいけない気持ちになってたのかなぁ。


さて、行ってみればたこ焼き屋の営業が三時間後でしかたないと笑う。

予定変更で近くのケーキ屋さんでチョコレートマフィンを買って、透明のビニール袋で下げて、百円自販機でコーヒーを買って、公園に向かいました。

小学生のようだ。あはは。

ベンチに座って私たちが話したのはまず、彼女が書いている小説のことです。

彼女の今回の作品、学園コメディを装ったファンタジーがめちゃくちゃ私のつぼにはまってしまっていて、

うおーっという勢いで楽しみだと連呼する私。

ちなみに気になる点も話しますけどもね。

連載を読んでいる気分ですよ。なかなかのせられてしまいます。

書けることがほんまにうらやましいですね。


そっちはどうなん? 書いてるの? 


うーん。書いてない。

実は呼び出される直前に書こうかなとしてたとこやったのにねぇ。

なんてちゃかしてみる。こらこら。

それはごめん、悪かったなぁ、って言わなくてもいいよー。

だって創作話するのめちゃ楽しいし。


その子は今、何かふっきれた気持ちで小説を書いています。

でもね、彼女、実は編集者にもなれると思うのです。

つまってしまった作家の頭をほぐして、今本人がぶちあたってる問題を綺麗に取り出して分りやすい言葉で見せてくれるんですもん。

私が多くを語らない内に(とは言え、長いこと同じような状態なのでみやぶられていたのかもしれませんが)

彼女の漫画家志望の友人の話をしてくれました。

まるで私のことを言っているようなその子の悩み、そしてその子へ話したこと。

それはあんまりにも自分の心にぴたりとはまりました。

あんたすごいよ。

そして自分が一時期陥っていた状態の話もしてくれました。


私が書けない書きたいでも書けないって葛藤していた頃、

今思えばそれは全部、何かの賞用に作ろうとか思ってた時なのよね。


そう思うとどうしても制限をかけてしまう。

これだけの枠に収めよう。

こういう話にしようということですら枠内の話にしてしまう。

どこかありきたりでそつのないものになってしまう。

その通りです。

だけど私にはそこからどうやって抜け出せるのかがどうしても分らなかった。

彼女曰く、


大切なのは妄想だ!


とのこと。

漫画でも小説でも、自分が燃える(萌え?)展開があるでしょう。

ここでこうなったら……うっきゃー、もうめっちゃいいやん! そうこなくちゃねぇやっぱし。

ってやつ。

それはしてると思うのよね。でも必要なことはそれを突き詰めること。

妄想を始めたらいきつくとこまでいってみろ!

そうしている内に、一つのシーンから枝分かれで色んなことが固まってくる。

主人公のクセ、その言い回しの影響は実はあいつから、ほんのちょっとしたことでも、

人物達の厚みになって物語に深みが出る。

人物に深みが出れば、自然と話は決まってくる、苦労がひとつなくなる。


そういったことを聞いて、私が納得と共感を強く得られたのは、

妄想から物語を膨らませる経験が実際にあったからです。

そうだ、昔はそうだった。

それはとても楽しい作業だったんだって。


私が忘れていたことを今一番大切なこととして再び目の前に見せてくれた。

あんたはほんとすごいよ。


その後、私達は自分が好きなキャラクター像、絶対使ってしまうキャラクター、

絡ませたいタイプなどをきゃっきゃと語り合いました。

それも行き詰っている私のヒントとして彼女が意識してか無意識でか分らないけれどくれた時間です。

気が付けばたこ焼き屋も営業を始めている時間でした。

しっかり食べましたよ。今回の目的はたこ焼きです。はは。


ものかきにとっての味方、優秀な編集者が友人にいるんですね私。

その力はものかき以外にも発揮される、そして実はがんばらないでいい空気も持てる、その逆も。

彼女は私の物語になくてはならない登場人物なのです。

彼女の物語で私がどんな人物なのか、聞いたことはないけれど、出番がカットされないようにがんばるよ。

普段は何気ない友達関係で気楽にいってるけれど、

たまにはこんなふうに改まるのもいいよね。

こっそりそんなことを思った、いつもの時間の後のことでした。







ここで語ることも、大分間があいてしまいました。


 ひらひらと薄い紙切れ ばらけた単語

 くしゃと丸めて投げ出すか

 広げてのばしてみつめるか

 折り紙みたく箱にして立体に化けさすか


最近、あらすじを読んで自分で面白そうと思う。

それは幸せだけれど、中身がないとね……。

(あ、上の4行はあらすじではありません…ははは)

ふくらめーふくらめー。ぷくぅ……ぱんっ。あ……。(ありがち)

私ね、あなたのことをまっすぐ見れないよ。


どうしてそんなに苦しそうなの。

呼吸しよ。ねぇ深く心の底まで綺麗な空気を送り込もうよ。

いつもいつもはりつめていて、

あなたの喉元に叫び声ががんじがらめに詰って暴れているのが見えるよ。

目の奥にこらえて震える気持ちが見えるよ。

届かない。言葉が見付からない。

楽になってなんて、その言葉がみじめにさせることを知っている。


呼吸の仕方をふいに思い出したこと、いちどでいいからなかった?

せめて、そんな時のことを思い出してほしいんだ。

もし、もしも思い出した瞬間に、同時に肩を落とせたら、楽になるよ。

肩を落とすなんて、落ち込めっていってるのかって苦笑した?

言葉の選定ミスだと思った?

ううん。そう言ってるの。


落ち込まずにいようとがんばってるから、しんどいんだよ。


肩を落として自分をだめなやつだって力なく笑う。

そんなあなたでも、私はいつも目をそらずに見ているから。

心をまっすぐまっすぐ向かわせて、ここに立っているよ。

幸せだと感じたら

嬉しかったり楽しかったりしたらそうやって素直に笑っているけれど

ねぇ 

本当は 何も言葉にはしていないってこと気付いてる?

それだけじゃだめなこといっぱいあるよ

いつまでも子供でいちゃいけないよ

一人はいたと思うのです。少なくても学年に一人は。

授業中に小説を書いている同級生。

何を思ってあんなに夢中になっていたのか。

その思いの一端にぶらさがっているのは、誰もが経験したことのある思いと同じだと思うんです。


どうして人はやるべきことが他にあると、好きなことをがんがん出来てしまうのでしょう。

意識がそちらに集中してゆくのでしょう。


こう言えば、授業中に小説を書いたことがない人にも、

自分の好きなことに当てはめてうなずいていただけるのではなんて思います。


ほんとに、どーーーしてっ、優先すべきことがある時に、気持ちが盛り上がるのか。

小説を書くのにものすごい集中力を発揮して、ものすごく楽しかったのがなんといっても、

試験期間中。

わかっている。わかっています。

この問題集はまったく手につけていません。

それどころか明日? テストは明日!

なのに手は小説ノートへと…。

このシーンだけ書こう。

そんな制限意味ありません。

よしんば守れたとしても、文章を書くというのは時間のかかるもの。実際一時間なんて感覚五分も一緒です。

気が付けば夜中過ぎ。もう眠くなっています。

ちなみに試験ではないけれど、高校受験の結果発表の前の晩も二時三時まで書いてしかも書き上げたという思い出があります。


何か触れたくないけれど気になる出来事がある時に発揮されるのかもしれません。

よく、「逃げ」だよなぁと思っていました。

けれど強く楽しみを求め自分の欲を優先させることが難しいなんて思う今日この頃では、

そんな昔の自分が羨ましかったりもするのです。


国語の授業中によく書いていました。

国語のノートは横罫ノートを横長の縦書き状態にして使われていました。

だものでその時に書く小説ノートも同じ仕様にして授業ノートを乗せて隠しながらずらしながらの執筆です。

時々黒板を写しているよと言わんばかりに顔を上げて。

あれ。今素朴な疑問が浮かびました。

授業ノートはきちんととっていました。

ということはそれ以外の時間(黒板を写す時間外)を使って小説を書いていたわけです。

それってほとんどずっと手を動かしっぱなし。

これって教壇から見たらわかりますよねぇ。

そういうの見つけてた先生って、どんな心境だったのでしょうか。少し気になります。

もし私が「小説を書いている」ことまでわかっていたなら、

ある意味国語だからまぁいいか、とか。それだったらいいのですけれど。

授業を聞いてもらえないって悲しい……。

なんだかこの思い出を手放しで面白がって書いている自分が浅はかに思えてきました(苦笑)

これが昔と今の自分の違い。

あの頃はいい感じに子供だった。そして今を幼かったという未来の自分がきっといる。

中学生の頃を面白がれているけれど、

今の私を未来の私は面白がってくれるでしょうか。

それが苦笑でないようにと、祈りよりも心の持ちようでがんばろう。





ちりんちりん

指先で優しくつまんで 鳴るけれど

ぢんぢん

きつく握り締めてしまったなら きれいな音は鳴らせない


鈴はいつだって軽やかにいさせてあげよう

ほら、って人の目の前で振ってみせるときのように柔らかに。

そうすればその音は笑顔をもらってこちらにかえってくるよ。

優しく優しく、笑えるようにもなるよ。

今しか書けないものがあるのだと、思いました。


昔、書きたくて書きたくて仕方の無かった小説があります。

そのプロットは今もあり、書くことは出来ると思うのです。

けれどふとそのプロットを見つめると、あの頃の自分がどんな思いに支配されていたのかが分るような気がしました。

そしてあのときに書いておけば、もっと深く踏み込めていたのかもしれない。

そう思わずにはいられません。

何一つ変わっていないと自分を責めてはいても、

自分を取り囲む環境は常に変動していっている。

あの時にしか書けないものがあった。

それなら今しか書けない小説もある。


それからね。

このネタはいい! 最高!

と思ったらすぐに書かなきゃ損だとも思います。

でないと同じネタが他から世に出てしまうかもしれません。

まったく同じものはないと思いますが、(個々それぞれの工夫が同じものにはさせないと思うので)

「連想する」程度ならあるもの。

それも「絶対○○に影響されてるってー。おんなじだよねぇ」とまで言われる可能性もたくさん。

「世に出ている作品のネタなんてどれも似たり寄ったりじゃないか、ようは個性だよ」

それももっともです。

けれどやっぱり「ベストセラー級の作品でめちゃくちゃ面白いと私も思って大好きになったのだけれど、

これを読んでしまったら自分のネタはやっぱり後発の似たものになるなぁ」なんてこと、嬉しいような悲しいような最終的にはやっぱり悲しいよという事態はあんまり起こってもらいたくないものです。

競争社会だ・・・。

悔しいから十年後に世に出してやるなんて心内でつぶやいた人間がいるそうですよ……。

というかコレ、すぐにでも本を出せる作家であるならよりリアルな決意なのですが、あぁ残念でしたねぇ(笑)