私はあまり漫画を読まない方(と思っている)ですが、

最近読むようになった漫画―と言ってもまだ2巻ですが笑―に『ミステリと言う勿れ』という漫画があります。

 

どうやら来年には地上波となるくらい大人気作品のようで(知らなかった)、

現在読んでいらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

 

 

この作品を知ったのは、『ミステリと言う勿れ』の作者である田村由美先生の

別の作品『BASARA』を読んだことがあったためでした。

 

 

 

 

偉そうですが…『BASARA』は日本の輪郭をきちんと捉えていてとてもおもしろく、

私としては、あんな風に(戦争は嫌ですが)全国を旅したり、

全国とつながりながら生きていきたいなぁと思わされる作品でした。


 

話を戻しまして、『ミステリと言う勿れ』が人気なのは、

主人公が様々な疑問や哲学的な問いに対して鋭い意見・考え方を提示することで、

展開があれよあれよと進んでいくところにあるのかななどと思っています。

 

そうした主人公の鋭い意見の中に、

とても大事な指摘・提言ではないかと個人的に感じるものがいくつかありましたので

(まじめです、すみません)、シリーズ的に書かせていただきます。


 

以下や次回以降はネタバレ(手元に漫画がないためうろ覚えでもありますのでご容赦ください)になりますので、

ネタバレが困る人はスルーでお願いいたします。


 

最初に扱う場面は1巻の中で、とある刑事(父)が「娘に嫌われている」ことについて話す場面です。


このことについて主人公は

「娘はこの人(父)は相手にしちゃダメ」という作用を働かせることができていることを指摘し、

「もし、父と娘がべったりしてしまっている関係ができていた方が失敗である」と告げます。

そして「寂しいけれど正しく育っている」ということを伝え、

父である刑事はぶつぶつと言いながらもホッとするという、そんな場面がありました。


 

これは遺伝学、あるいは生物学の領域となるのでしょうか。

そのあたりについて私は詳しくないので、何とも正確なことは言えないのですが、

遺伝子が近い人を好意的に思うというのは遺伝・生物的に弱くなる?とよく言われますよね。

そのせいで「本能のレベルで娘が父を避ける」ということが

現実に起こりうるということかと思っています(そんな風に書いてあったような気もします)。


 

この話を聴いて、漫画の父のようにホッとされるお父さん方って

意外と多いのではないだろうかと思うのですが、いかがでしょうか。


 

私はこれまで

「洗濯ものを(父と)一緒に洗うなんて無理」

「(父が)帰ってきたら、あいつが帰ってきたよって言って移動する」

というかなり厳しい、お父さんからしたらつらすぎる言葉を耳にしてきました。。


 

私は父ではありませんが、父と娘の関係というのはなかなか複雑なのかなぁなどと勝手に感じています。

生理をはじめ、女性の身体の構造を男性が知る機会はほとんどありませんし、

残念ながら女性差別がある社会で生きている以上、

歪んだ情報が勝手に入ってくることの方が多い可能性があり、

父と娘の関係はより複雑になりやすいのかもしれないと思ったりもします。


 

そのような中で、父は娘とどのように関わればいいかというのはなかなか難問であり、

日々悩まれているお父さんは多いのではないでしょうか。


 

私はこうした父と娘の関係について、このように考えています。

ひとつは、人間関係である以上、

父親側にも娘側にも何かしら問題(前提のズレなど)があるのかもしれないと内省・点検をすることは大切。

もうひとつはこれもまた人間関係である以上、

家族であっても「合う・合わない」というのがあることを大切にした方がいい。

というものです。

後者に関しては漫画にある遺伝的な要素も含んで考えています。


 

「家族はみんな仲良くなければならない」

「親は子どもを無条件でかわいいと思うのが当然である」

「子どもは親のそばにいて親孝行しないといけない」


 

こうした言葉を耳にすることはだいぶ減ってきたかと思いますが、

それでもまだこういうことが「前提・いいこと・正しいこと」であり、

推奨される風潮はあるように思っており、

父と娘の関係をより複雑にしてしまう側面があるのではないだろうかと私は思っています

(父と娘に限りませんが)。


 

もちろん、家族が仲良ければいいでしょうし、子どもをかわいいと思えるのは素敵なことでしょう。

親のそばで暮らすことが幸せという人もいるので、それができたら、

確かに親も「親孝行してもらっている」と思えるのかもしれませんね。


 

しかし、前述したように、家族であっても「合う・合わない」があり、

ましてや漫画で出てきたような、「家族」ゆえに遺伝や生物学的に

「近寄らない方がいいかも」センサーみたいのが出ている可能性があるのだとしたら、

これらの「前提・いいこと・正しいこと」が押し付けられていてはいけないと思います。


 

毒親という言葉が知られるようになってきましたが、家族ゆえに乱れる関係もあるのが現実ですね。

「家族仲良く」というのは素敵なことですし、目指せたらいいとはもちろん思いますが、

その前提が、虐待等の環境にある子どもたちを苦しめてしまう可能性にもっと目を向ける必要があるでしょう。


 

「虐待は一部の家庭の問題」と思われる方もおられるかもしれませんが、

一概にそのように言うことはできない現状があるのと、

家族も生き物で変化をし続ける以上、いつ誰がそのような状況に置かれることになるかもわかりません。

 

そもそも「家族仲良く」というを前提にして傷つく子がいることを見逃してもいいということでもないでしょう。

私たちは不完全なので、

何気ない言葉の中で誰かを傷つけてしまうということがあると自覚する必要があると感じています。


 

また「自分の子どもはかわいいと思って当然」というのは、

「自分の子どもをかわいい」と思えない親を追い詰め、

「自分はおかしいのではないか」、「父・母として失格なのではないか」と思わせてしまい、

子育てを困難にしてしまいます。

それを周りに話すと「ひどい」とか「信じられない」とかという叱責を受け、

失敗や悪の烙印を押されてしまいそうなため、相談することも憚られてしまうでしょう。


 

精神科医の宮地尚子先生は著書『ははがうまれる』でこのようなことを述べています。

 

 

 

「赤ちゃんの泣き声にイライラするということは、女性の場合、特に言いにくい。

それだけで優しくない、女らしくないと受け止められやすいからだ。」

また、続けて

「一方、子育て中の親にとっては、公共の場、しかもすぐに外に出られない室内や車内などで、

子どもに泣き出されると困ってしまう。

あやしてもなかなか泣き止まないとき、周囲のイライラや、早くどうにかしろという視線は、

さらに大きなストレスになる。」と述べ、

「(動物としての人間)誰にとっても、赤ちゃんの泣き声は心地よいものではない。

そのことを知っておくだけで、みんな少し楽になるかもしれない。

その上で、自分も含めみんな、かつては泣きわめいたり、

なかなか泣き止まない赤ちゃんであったことを思い出せば、

よりサポーティブな子育て環境ができていくかもしれない。」

と綴っています。

 

もしかしたら、近い関係だからこそ、子どもだからこそ、遺伝的な面を含めて、

苦手・かわいいと思えないということがあり得るのかもしれません。

しかもそれはよりよく生存していくために起こりうることなのかもしれないと思うと、

少し違った視点で子育てや人間関係を捉えられるのではないでしょうか。

 

 

そして、「そばにいることが親孝行」というのは、

一昔前までは仕事を継ぐことが求められるケースが多かったことや、

寿命がさほど長くなかったということがあったときの名残でもあるのかと思われます。


 

今は仕事の選択肢が増え、一次産業(を軽視はしていません、むしろリスペクトしてます)だけではない

自由な働き方が多くなっていますし、人生も100年時代と長寿できる時代に変わってきています。

きれいごとのように聞こえるかもしれませんが、

子どもが幸せに生きていくことが何よりの親孝行であり、

自分の人生を削ってまで介護などをして「親孝行」というのは違うと思います。

 

「親を施設に預けるなんて親不孝」というのは人生100年時代では少し無理な話だと思うので、

高齢になったときに、親が快適に過ごすことができるような仕組み・体制整備というのは、

国のレベルで必要だと思います。


 

話がなんだか大きくなり、脱線してしまったようにも思いますが(いつものことでして…すみません)、

父と娘の間に繰り広げられている遺伝子レベルでのお話もヒントに、

「家族関係」「人間関係」というものを見直すことができるといいなと感じます。


 

ここまで偉そうに書いてきましたが、とは言え、子どものいない私ですら、

甥っ子が成長していくだけでも喜びと寂しさを感じたりするので、

当の親御さんは気が気ではないと思います。

娘や息子と仲良くお話したいとも思うことでしょう。

それを諦める必要はありませんが、それでも、

子どもたちもまた自立と依存で常に揺らいでいるのだということを大事にする必要があるのではないでしょうか。

その揺らぎを大人もまた味わっていくことが人間的成長につながっていくのかなと感じたりもします。


 

なんでもかんでも遺伝などのせいにして思考停止してしまうこともまたお勧めできませんが、

「ダメな父・母」などと過度に思うことなく、

肩の力を抜いて、風通しの良い「父・娘」「家族関係」が醸成されていくといいなと願うのでした。