あれから65年
あれから65年が経った。
1945年08月09日11時02分。
9,600m上空から投下された原爆は
長崎市の北部、松山町の上空約500mで炸裂。
死傷者は同時の長崎市の人口の6割を超える
およそ15万人にも及んだ。
亡くなった私の祖母も被爆者の一人だった。
幸いに祖母は81歳まで生きることができた。
私の記憶の中の祖母の身体には
皮膚の火傷による“原爆ケロイド”が
広範囲に渡り残っていた。
私がそれと理解できたのは
小学3~4年生になってからだ。
それからはこの時間に黙祷をすることが
習慣になっている。
今日の11時02分。
西へ向かい、声を出さずに祈りを捧げた。
長崎・広島の原爆被害者、
各地の空襲で亡くなった方々、
各地の戦闘で亡くなった人々、
戦争によって命を落とした
全ての人たちのご冥福をお祈りします。
核兵器のない未来へ。
1945年08月09日11時02分。
9,600m上空から投下された原爆は
長崎市の北部、松山町の上空約500mで炸裂。
死傷者は同時の長崎市の人口の6割を超える
およそ15万人にも及んだ。
亡くなった私の祖母も被爆者の一人だった。
幸いに祖母は81歳まで生きることができた。
私の記憶の中の祖母の身体には
皮膚の火傷による“原爆ケロイド”が
広範囲に渡り残っていた。
私がそれと理解できたのは
小学3~4年生になってからだ。
それからはこの時間に黙祷をすることが
習慣になっている。
今日の11時02分。
西へ向かい、声を出さずに祈りを捧げた。
長崎・広島の原爆被害者、
各地の空襲で亡くなった方々、
各地の戦闘で亡くなった人々、
戦争によって命を落とした
全ての人たちのご冥福をお祈りします。
核兵器のない未来へ。