『いつもの道』沖縄へ愛を込めて* | 光線

『いつもの道』沖縄へ愛を込めて*


わたしにとって、沖縄は10代のころから大好きな地です。

「いつもの道」は、沖縄県の辺野古で産まれました。

 

辺野古は、沖縄本島の北部名護市にあります。

その海は、ジュゴンが海草を食み(はみ)に姿を現したり、ウミガメの産卵場でもあり、絶滅危惧種の生物が数多く生息する宝の海です。


そんな海を大きく埋め立てて、新しく米軍の基地が造られようとしています。

 



辺野古には何度か訪れたことがありますが、その内の確か…2005年(または2006年)に辺野古を訪れた時、ここがどんなに豊かで命行き交う貴重な海かということ。そして、そこを埋め立てる工事が、今どのくらい進んでいて、毎日現場ではどんなことが起きているのか…状況を聞かせて頂きました。

 

その時、説明して下さった男性が、終わりにこんな話をして下さいました。

 

「私は、イラク戦争が始まった時に、いてもたってもいられなくなって、知人数名とイラクの人々に救援物資を届けに行きました。ある村を訪れた時、向こうから男性が女の子を抱きかかえて、こちらに近づいてきたのです。

言葉もわからず、何が起こるのだろう・・・と思っていると、その男性は、私にその女の子を抱かせました。その子は、亡くなっていました…。

そして「あなたの島から来た飛行機で、この子は殺されたんだ」と言われました。

私は、あの時のショックを忘れられません。

少しでも何か力になれないかと訪れた地で、自分の生まり島(うまりじま)から飛び立った米軍機が多くの人々の命を奪っていたのです。

それまでも基地には反対でしたが、それから、もう絶対に沖縄にこれ以上基地は造らせないと強く思いました」と。

 


また、日本で唯一の地上戦となり県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦を体験したおばぁは、こんな話をして下さいました。

 

「私たちはね、命からがらガマ(自然の防空壕)に逃げ込んでね、食べるものも飲むものもないから、夜中の間に敵に見つからないように外に出て、真っ暗闇の中、池のどろ水を飲んで飢えをしのいだんだよ。そしてね、朝になって、その池を見たら、そこには遺体が浮いていて・・血で真っ赤に染まっていたんだ。私はね、亡くなった人の血を飲んで生きながらえた人間なんだよ。

あんなこと、もう誰にも体験して欲しくない。

この身がどうなろうと・・・この島に、もう基地はいらないんだ」と、涙ながらにお話しして下さいました。

 

80歳を過ぎたおばぁが、炎天下の中座り込みをされています。

当時現場では、泳げない人がライフジャケットを着て海に飛び込んで、工事の杭にしがみついて、身を盾にして工事を止めている。という状況でしたので、自分も、ほんの数日でもここに残ってできることはないだろうか…と考えていたところ、説明をして下さった男性が「もし、あなたが唄をうたっているのなら、唄を作って下さい。」とおっしゃったのです。

 

そして産まれたのが、この「いつもの道」です。

 

辺野古の美しい海を見ていると、涙が出てきます。

 

様々な想いを抱えて、辺野古を、平和を守ろうとしている人たち。

民意を無視する政府の指示により、工事を進めようとする人たち。

意見は違えど、人間同士がぶつかり合わなければならない光景が、私の心に悲しみとして残っています。

そんなこと、望んでいないのに…

ただ大切なものを守りたいだけなのに…

想いが通じ合えない悔しさ。

それを、現場から離れた東京から指示する権力者。

この構図がまさに戦争に思えました。

 


だからこそ、優しい唄を作りたいと思いました。

一番願っていること、一番届いて欲しいこと。

祈りのような風景と想いを、唄にして、たくさんの人に届けたいと思いました。

 

国土の0.6%にすぎない小さな沖縄に、日本全土にある米軍基地の約70%が集中しています。

その土地は戦後、沖縄の人たちから力ずくで奪い取り、造られたものです。

もし基地がなければ、沖縄の人たちが苦しみ傷つき続けることも、二分されることもなかったはずです。

 

様々な立場や複雑な想いを持つ方がいることも確かです。産まれたときから基地があって、それが当たり前の日常で、生活と密着している人が多いのも沖縄の現実です。


しかし、この先、子供達や未来に残したいものは、戦争をするための基地でしょうか?

美しく豊かな沖縄本来の海でしょうか?

基地のない平穏な生活を、根底では誰もが願っているのではないでしょうか。



意見は違えど、米軍基地を押し付けられ続けている沖縄の人々全員が、私には被害者に思えます。そして、基地による騒音被害、度重なる軍用機の墜落事故、米兵による暴行、殺害事件、土地の強制収容、県民の分断…

沖縄戦後も、沖縄では戦争が続いている…と感じます。

それは、普天間から辺野古へと場所を移したところで、変わらずに続いてゆくことなのです。

 

 

これは沖縄だけの問題ではありません。

日本全体の問題です。

もっと言えば人類への問いです。

声をあげないことは容認(加担)している事と一緒になってしまいます。

イラクの人々の命を奪った飛行機は日本から飛び立っているのです。

私たちが知らない間に、また声をあげない間に、日本政府が軍事基地を拡大し進めようとしている計画は、本当にあなたの望む未来でしょうか?



私は、一人の人間として、母として、当たり前ながら戦争に反対です。 


そして、戦争に大きく関わる、辺野古新米軍基地建設に反対です。(同時に世界一危険な基地、とアメリカも日本政府も認めている普天間基地の即時停止と持ち主への土地の返還を求めます。)


大切なものを愛おしく想い、大切にできる「当たり前の日常」という幸せを心から願い

このうたを唄いつづけています。

 

一人でも多くの方に唄を通して、辺野古をはじめ、沖縄の人々が強いられたきた歴史や米軍基地の負担について、知ってもらえたらと願います。

そして同時にこの唄が、皆さんの一人一人の大切な日常や、心に、そっと寄り添うものになってくれたら、とても嬉しいです。

 

 

心の底から 願いを込めて。

八重