映画 リトルウィッチアカデミア | アラサー、サッカー、オタク。

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「アニメミライという企画から選ばれた映画が、この映画で本当に良かったで」


今、毎年たくさんの作品がアニメとして放送されています。

作品の数だけ、作品の個性があるとすれば、たくさんの個性が求められているのが
今のアニメ業界なように思います。

多様化に伴って、アニメを作る側の苦悩はアニメ業界で働く人の労働環境や、
作品の作られ方、売り出し方を観れば、透けて見える気がしています。

個人的に少し不安視していた、日本のアニメ業界のミライ。

そんな不安を吹き飛ばしてくれるような作品が、リトルウィッチアカデミア、という
作品でした。

既に終わってしまった映画なので、一度しか観ていない中での記憶を掘り起こしながら、
この作品の良さをひとつでも多く文字にしたいと思います。


まず、アニメの良さの一つに、現実の、三次元の人間が出来ない動き、表情を表現できる
という点があると考えています。

潘さん演じるアツコを始め、triggerの描くキャラクター達はアニメならではの、生き生きとした
喜怒哀楽を存分に発揮してくれています。

僕は同じtriggerのキルラキルを、感情の消化不良を起こしてしまって、途中で観られなく
なりました。それくらい、アニメーションから伝えられる迫力、感情に満ちた作品だったと
半分、観るのを止めたのを後悔していました。

今作は30分という時間でそれぞれ完結させてくれていたこともあり、後半少し勢いに押され
かけましたが、止めどなく感情を届けてくれるキャラクター達に、心から胸を打たれました。

少し物語を進める過程で説明が足りないところはあったように思いますが、画面を所せましと、
魔法を使ってダイナミックに動き回る少女たちや、テンポよく感情を変えていくキャラクター
たちはまさに、アニメの魅力そのものだったように思います。


次に、少女、学園もの、と一見するとありきたりな題材を扱っているように思えても、
キャラクターが、世界観が魅力的であれば、こんなにも新鮮に受け止められるんだ、
というのも印象深いです。

次から次へと生み出されるアニメの中で、どこか他の作品と要素が重なってしまうことは
往々にしてありうること。

一度得られた感動は、二度目にはどうしても薄れてしまうために、作り手には相応の
工夫が、今まで以上に求められていると思います。

今作は、少女の憧れをベースに思春期らしい友情を描きながら、魔法と聞くと知的な印象が
強い感じがしますが、主人公を感情むき出しの、がむしゃらな性格にする事で、いわゆる
一般的な魔法使いたちとの対比をうまく生かしながら、作品が展開されていました。

固定概念を壊す作業はリスクを伴うものですが、作品の冒頭から、主人公の原体験を
これでもか!と美しく、魅力的に描いてくれた事で、観ている僕らの気持ちが主人公に
寄り添える環境をうまく整えてくれています。


最後に、手描きの絵で動きつづけるキャラクターから、アニメならではのぬくもりと、
その背景にいる人の努力を感じられるところです。

これはかなり感情論的な話になりますが、個人的には今後、いくらCGが発達しても、
感情が揺れ動くシーンは手描きの絵にはかなわない、そう感じています。

なぜか。

人の手で直接的につくられた絵と、PCなどを介してつくられた絵では、人の感情が
どちらがよりダイレクトに届けられるのか、という点で、手でつくる方が間違いなく
伝わる、と考えているからです。

今作は記憶している限り、ほとんどが人の手による手描きの絵で、キャラクターが
動き、喜怒哀楽に満ちた作品の印象を際立たせるのに、ぴったりだと感じました。

また、感情的な話ばかりで恐縮ですが、人が時間をかけて、そこに思いを込めてつくった
ものの方が、人の心に届くと思うんです。

確かにCGをうまくつかった映像はアニメの進化、アニメのミライを想起させてくれますが、
人の手で多くを作られたアニメでも、これだけ人の心を動かしてくれることを証明して
くれた本作の価値は非常に大きいと感じています。


アニメは世間から見れば、子どものもので、大人が一生懸命観る、という事については
まだまだ偏見を持たれているのかもしれません。

しかし、間違っても人が多くの情熱をかけて、誰かを幸せにしようと工夫を凝らして製作した
ものを簡単に否定してはいけないと思っています。

日本のアニメが、もっとたくさんの人に素直に評価される。

そんなきっかけをつくってくれるようなリトルウィッチアカデミアに出会えて、僕はとても
幸せに思います。