その表現力がわからない |  ◆ R I N G O * H A N

 ◆ R I N G O * H A N

歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

$◆ cinemazoo-つぼみ

5*SEASON


衝撃だった。
心の臓をグシャッと何物かに掴まれ、
身体機能が麻痺した。
フィギュアスケートの浅田選手の演技『鐘』を
初めてテレビで見たとき、
「とんでもない表現」が生まれる前夜だ、
肌で感じ、ただの阿呆になってしまった。
テレビが宇宙になったかのようで、
そこには恐怖と闇があった。
ひどく歪み、ねじれ、絡み合う苦悩があった。
反面、弓状にしなる身体は美しく官能を帯び、
生命の誕生を見ているとすら思えた
新しい命を生むということは、
こんなにも重いものなのか。
プログラムが終わったとき、
確か私は、大きく吸い込んだ息を
ゆっくり吐きながら、こう思ったはずだ。
「奇跡」だと。
とんでもなく感動したのだった。

あれは'09年グランプリシリーズ「フランス杯」。
『鐘』はまだまだ未完成で、実に不安定だった。
けれども未完だからこそ、感じた。これは、
結末が分かったドラマの再放送ではない。
どうなるか、まったく分からない、
どこへ向かうのかわからない、先が見えない。
不透明だからこそ、高揚する、
いったい、行きつく先に何があるんだろうか、
心がギュッと伸縮し、肌は ざわついた。

少し、気掛かりも。
19歳でこれをやり遂げるのは難しいのではないか?
誰も登ったことのない頂きを目指し、
道を切り開いていくには まだ年若いのでは、と。
けれど、不安は愚かに過ぎず
浅田選手は今シーズンの最終演技で
『鐘』を“ほぼ完成”させた。
私はまた、衝撃を受けたのだった。

絵描きゆえ私は、
『鐘』を演じる朝田選手を
印象派の画家たちと重ねてしまう。
ドガ、ルノワール、セザンヌ、そしてゴッホ。
過去に印象派の絵画が現れたとき、
画家も絵も、冷遇されたという。
「見たこともないもの」は、
容易には受け入れられないのだろうか。

私は浅田選手の『鐘』を、
芸術のフィルターを通して見ている。
けれども、浅田選手は画家ではないし、
フィギュアスケートは競技スポーツ。
長くファンを続けているけれど、もしや私の感性は、
ファンとしては異端なのかもしれない。
けれど、フィギュアスケートが好きだ。
なぜ好きなのかと問われたなら、まず答えるのは、
「芸術的要素」があるから。
芸術的。芸術的! ああ。
そこに「的」という一文字がある、
そう「的」なのだ、
つまり芸術っぽいもの、芸術ではないのだ。
芸術的って、どういうこと・・・?
フィギュアの表現って なんだろう?
スポーツにおける表現力とは、どんな力?

最近、こんなことを考えていた。
きっかけは、Yahooニュースのトップに載っていた、
青嶋ひろのさんの記事だった。

浅田真央が気づいていない大切なもの/世界フィギュア女子シングル総括

この記事にとても感謝している。
表現に関わる端くれとして、
もう一度「表現する力」って何だろうと、考えさせてくれた。
が、そこに着地するには、少々時間がかかった。
記事は、メールチェックしようとYahoo!へアクセスした時、
ひょいと見つけて読んだだけで、
心の準備が出来てなかったぶん、
大切にしていたものがグラグラと揺らいだ。

記事にはこんな「表現」がある。
(記事より引用)
「技術」としては完ぺきに近いが、「氷の上で自分を表現する、何かを表現する」というフィギュアスケートのもうひとつの大切な部分が、まだ少し足りない。いや足りないのではなく、それができる力を持っているのに、必要であることに気づいていないのだ。

技術は完ぺきに近く、滑りにもスピードがあり、音楽もよくとらえている。しかし上位の女子選手たちすべてが抱いている「素敵なスケートをしたい、自分を素敵に見せたい!」という思い。人前で何かを見せる者が持つ、ごく自然な思い。浅田に必要なのは、そんな気持ちを自然に抱くこと、そんなごく簡単なことだけのような気がする。

ほんの少し、見る人と向き合う気持ちを持つことができれば。ほんの少し、自分に足りないものに気づくことができれば。それだけで、来シーズンは完ぺきなスケーターが誕生するはずだ。


何を云わんとしているのか、
さっぱり分からなかった。どうやら、
「何かを表現する力」が
今シーズンの浅田選手にはなかった、
ということらしいが。

では、私が震えるほどに衝撃を受けた『鐘』にも、
表現する力がなかった、ということだろうか。
単に、私が感激屋だ、ということだろうか。
あるいは『鐘』のような、
あまりにもセンセーショナルなものは、
フィギュアスケート的ではないのだろうか。
いやいや、あれは思想ともいえる、
それでは駄目なのだろうか。
「見る人と向き合う気持ちを持て」とは、
観客や審判の気持ちを汲めということか?
分からない。分からない。
読み進むうちに、心がすり減り、
最後には涙が出てしまった。
とても、貧しくなった気がして。

筆者の青嶋ひろのさんは、
フィギュア関連のライターとして
かなり立派で、著名な方らしい。
無知な私は存じあげなかったけれど、
記事の文面から察するに
選手とは親しい間柄でいらっしゃるようだ。
きっと、フィギュアスケートを
こよなく愛されていらっしゃるだろう。

ならば、期待したい。
今シーズンが終わった今、改めて
フィギュアスケートの魅力が、
青嶋さんの筆力によって「表現」されることを。
どんな場面で感動し、胸が締め付けられたのか。
わずか数分間の演技に
どれほど心が震え、感激なさったのか。
なぜ、フィギュアスケートが好きなのか。
そこには、きっと、
フィギュアスケートにおける芸術とは何か、
フィギュアの表現力とは何なのか、
そのヒントが滲み出るだろう。
様々な問題が表面化した今シーズンだからこそ!

フィギュアスケートの表現力とは何なのか、
どうやら私には分かっていないらしい。
気が付かせてくれた青嶋さんの記事に感謝。
ご縁に 心からありがとうと言いたい。

表現とは感動を残すことかと思う。
いやいや、違うかもしれない。そもそも、
私は芸術ってものが分からない。
分からなくていいとすら思っている。
ただ私は、絵画や音楽やダンスと同じように、
言葉が介在しない世界で切磋琢磨し、
未知なる山を目指す開拓者に共感を覚える、
これだけは感じてる。
とても、強く。


クローバー 青嶋ひろの

5* 『フィギュアファンのなげき』
私がフィギュアスケートがなぜ好きなのかを綴っています。

やぎ座5*SEASON's Home
『つぶやきの動物園』TSUBUYAKI ZOO


▲ブログトップ