キラッ☆ 私の身近な道具であり凶器。
パステルを削ったり紙の表面を削ったりする大事な道具も、
使い方を誤れば凶器になる。
ちなみにロシア・マフィアのファミリーとして認められた者は、
その契りとして胸に星印のタトゥーを入れるそうだ。
星は希望の象徴として捉えられることが多いが、
マフィアの誓いに使うってぇのは痛い。かなり痛い。
マフィアの世界を描いているのに、
銃がさっぱり出てこない映画を観た。
『イースタン・プロミス』。
ロシア・マフィアの世界とはこうなの?
いやいや、そうではないだろう。
刃で肉体を切り裂く暴力が、
この映画のフィクション性を高める道具なのだ。
切り裂かれた後、映画は観る者を現実とは別世界へ疾走し、
日常の「すぐそこ」にあるだろう無気味な闇社会へと導く。
あらゆる人間は、本来なら快適さをくれる便利な道具を
殺戮の凶器へと変えてしまうことができるのだ。
私が絵を描く道具として重宝しているカッターも、
キャベツやネギをリズミカルに刻む包丁も、
使い方を誤れば、人の命を奪ってしまえる。
刃だけではない、車も電話もパソコンも。
実際、フツーの人間が、
フツーに身の回りの道具を使って大罪を犯す、
こんなニュースが連日報道されている。
無知ゆえに、と思わずにはいられない。
痛みを知らないものは安易に痛みを他者に与えてしまう。
『イースタン・プロミス』は、
私がイチオシで賞賛している俳優ヴァンサン・カッセルと
男気にクラッときているヴィゴ・モーテンセン、
美貌だけではない女優ナオミ・ワッツの演技が秀逸!
観るべき映画を観て良かった。
ハラショー! 鬼才グローネンバーグ監督!
これほどの演技が交錯する映画、ここのところ観たことない。
一瞬たりとも目が離せない。
けれど、あまりの痛みに目を覆ってしまった弱虫な私。
満点にならなかったのは、そのせいか?
もっと観ていたい、100分では短すぎると思ったのは、
心のどこかで『ゴッドファーザー』と比較してる…?
「残虐行為で始まる冒頭」、
話題となっているヴィゴ兄さんの「一糸まとわぬ格闘シーン」等々、
観ている者に「切り裂かれる痛み」をいやというほど見せつける。
特に、サウナでの「一糸まとわぬ格闘シーン」は、
この映画の山であり、最大のメッセージ。
丸裸で刃に立ち向かうヴィゴ兄さん、カッコイイ。
スタントなしで撮影されたときくけど、よく撮れたなぁ。奇跡だ。
それまで静に徹していたヴィゴ兄さんが一転し動となる、
あまりの変身っぷりには、
人の内面でゴソゴソと うごめく情念を見せられたようだった。
バカ息子役のヴァンサンの演技は、またもハラショー!
やっぱ好き、ヴァンサン!
残忍で非情で頭の足りない二代目でありながら、
実は闇の中の光にもなるという実に難しいキャラを、
ヴァンサンは見事に繊細な演技で表現してる。
ラストのヴァンサンとヴィゴ兄さんの心の交差は、
人間とは光を求める生き物だと伝えているかのようだった。
ヴァンサンが演じるバカ息子と同じく、
光になっているのが父親の分からない赤ん坊。
誕生の場面は神秘的ではなく、ホラーっぽい。
新しい命はコウノトリが運んでくるといったファンタジーではなく、
出産に立ち合ったナオミ・ワッツが
闇社会へ巻き込まれるであろう序章にふさわしい。
が、映画のラストで赤ん坊は天使に変わる。
ヴァンサンとヴィゴ兄さんの間には、
同性愛者的ともいえる一筋縄ではいかない感情が通っていて、
男組織における「男と男の関係」をリアルに感じることができた。
男だけの世界、男の流儀に生きている輩は、
男に女を見るんじゃないか、と私は思うのだ。
この映画ほど、私に英語力があれば、と悔しく思わせるものはない。
ロシアなまりの英語が飛び交うのは私にも分かったけれど、
字幕を追うのではなく、直にロシア訛りの英語が理解できたら、
もっともっとクローネンバーグの世界に感嘆できただろうに。
●『イースタン・プロミス』サイト
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