イノセント ~完全復元 無修正版~ |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー


わき毛チョロリにドキッとさせられるのは
シモの方を想像させるからでしょう。
『イノセント』という映画では
貴族の御婦人のわき毛ボーン。エロいわぁ、おくさん!



イノセント《innocent》。
どうにも、くらっとくる言葉。
無邪気な、無垢な、純潔な。潔白な。
日本語でいうなら、こんなところか。
私なら、イノセントは無知と訳すけれど。
無邪気で無垢で純な人、これって言い換えたら
「自分のことしか考えられない阿呆」
ようするにエゴイストだ。

ヴィスコンティの映画『イノセント』を観ているとき、
ふいにオツムを過った ひとつの疑問。

韓国俳優に熱をあげているお嬢さん方 (昔の)と、
いくつになっても「少年」を掲げるオッサンと、
いったい どちらがロマンチストで、
どちらがイノセント?????

どっちもどっち、という気もするけど、
私なら・・・・。
いえ、「私なら」ではなく、
オトコのロマンというものに時折
ムカッ*とくる私の中には、
しっかりとイノセントが居座っている、だから、
ときどき誰かを傷つけたりするんでしょう。
他人の ある部分にムカつくってことは、
たいていの場合、同じ感情が自分の中にもあるわけで
映画『イノセント』のエゴな主人公も、
確実に私の中にいる。つまり幼稚なのだ。


【あらすじ】常に社交界にスキャンダラスな話題を振りまくトゥリオ伯爵(ジャンカルロ・ジャンニーニ)は、未亡人の公爵夫人テレザ(ジェニファー・オニール)に夢中になるが、ないがしろにされた妻ジュリアーナ(ラウラ・アントネッリ)は作家フィリポ(マルク・ポール)との不倫に走り、彼の子どもを生んでしまうが…。
ガブリエーレ・ダヌンツィオの小説を原作に巨匠ルキノ・ヴィスコンティが手がけた豪華絢爛たる愛欲劇。自らの死を予告したと思しき『家族の肖像』の次に撮った作品で、ここにはヴィスコンティ自身を投影させたキャラクターこそ登場しないまでも、そもそも彼の出自でもある貴族階級の地獄のような悲劇を冷徹に描くことで、自らの人生そのものにピリオドを打とうとしているかのようにも思えてならない。事実、これが彼の遺作となった。(Amazon.co.jp)

★★★★★☆☆ 7点満点で5点
妻に対して「妹だと思っている」などと
あっけらかんと言ってのける阿呆臭い男。
こんな阿呆、いるのか? いるねんかなぁ、これが。
保身でしかいられない哀れな男の末路。
筋を通す大人の選択はそこにはない。

本物の、リアリズムにあふれた貴族社会の描写と自滅。
終末には悲劇しかありえない。だからこそ美しい。
どのシーンをとっても絵画的で美術的で、
ヴィスコンティの執念がかもし出す、まさに動く美術館。
人物の配置、色の配分、音楽の分量、
美に囲まれて暮らした人間にしか分からないだろう
本物の息づかいが繰り広げられる。
また、人物の内面を衣服の色で表現している点が、
静寂をさらに停止させ、多くを語らず、高貴がにじみ出る。

この映画にスッポンポンの男が
イチモツを堂々と露にする重要な場面がある。
かつて、日本では その部分にボカシを入れて公開したそうな。
私は“無修正版”を観られたことを幸いだったと思うわけで、
だからアレをまともに観るのと観ないのでは
作品に対する感受性が大きく変わってしまうと言い切れる。
作品に なくてはならない全裸というイノセント。
無神経にボカシを入れない時代に生息できてヨカッタ。

この映画を観て、むしょうにイライラした。
きっと、それはこの映画が本物で、
痛いところをついてるからだ。
こういう貴族たちが愛でたアートという世界に、
しがみついて生きている自分が狂おしく愚かで、そして、
とてつもなく愛おしい。

~テアトルタイムズスクエアにて観賞~






●Amazon co.jp DVD『イノセント』ルキノ・ヴィスコンティ監督