ダ・ヴィンチ・コード (下) 萌え編 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー


Monaka Risa


一日に10ページずつしか読み進めなかった
『ダ・ヴィンチ・コード』が、
日々の合間合間に読み進み、
いつの間にやら『中巻』を突破、
今のところ『下巻』の後半へ差しかかった。

評判どおり面白い。
ページが進む度に面白味が増すだけでなく、
歴史に興味が沸き、どんどんキリスト様の
交友絵図に好奇心がそそられる。
しかし、これって
ストーリーが面白いというよりも、
本筋以外の横道に散りばめてある
「知識の玉手箱」が楽しいのだ、
発見することがあまりに多く、まるで
ダ・ヴィンチ学校に通っているかのごとく
「ヘーッ! へーっ! へぇぇ~~っ!」
わたしゃ驚いたの、感心したのって。

たとえば、以前の記事にも書いた
五芒星のことや、
名画に隠された悪戯や言葉遊び、
西洋諸国がもっているコンプレックス、
テンプル騎士団のこと、マグダラのマリアの人柄、
タロットカードやら、フィボナッチ数列、
知識の泉は こんこんと沸き出る、そうして
映画に秘められた異教へのアプローチときたら、
目からウロコが ボトボト落ちた。
ディズニ-映画『リトル・マーメイド』や
『ライオン・キング』、それに
『アイズ・ワイド・シャット』。
ヒット映画に隠されているという
「ダ・ヴィンチ的比喩」には、いやはや驚き!
が、あくまでも、こういう捉え方もある、
というセンスであって断定ではないのだけれど、
いわば『ダ・ビンチ・コード』は
美術的かつ学術的な「トリビアの泉」であり、
ハッキリいってしまうと「オタク」。

なので、この小説を映画化する場合の
私からの注意点はズバリ、こう。

推理小説の映像化として、
順当に物語の軸を“黒幕探し”に重きを置くと、
私のような“邪道好き人間”は楽しめない。

そもそも、キリスト教会の
絶対的な威厳を揺るがす壮大なネタを、
たった1日の物語として圧縮できるのは
小説という手段が圧倒的に有利だ。といっても、
そこに詰められた膨大な知識の量を
「上中下の たった3巻」にまとめるなんて、
かなり無茶な考えでは なかろうか。
たぶん『ダ・ヴインチ・コード』は
推理小説としては、さほど出来は良くない、
と予想している。だからだろう、
『ダ・ヴィンチ・コ-ド』の下巻に突入した今、
ページをめくるスピードが落ちてしまった。
読了するのを躊躇しているのだ、
あんなに横道で楽しませてもらったのに、
王道なる結末でガッカリするのが怖い。
ま、読み切るだろうけど。

『ダ・ヴィンチ・コ-ド』の
映画については まだ観てないし、
しばらく観る予定もないけれど、
なんとなく どんな感じの映画か想像できる。
小説を楽しんだ者として私は、
アヴァンギャルド精神にのっとり、
大変に奇抜で戯けたことをやってほしかった。
いっそのこと
暗号を解いた者だけが観られるとか なんとか、
特別な人だけが観賞を許される
「コード映画」にしてしまうとか、あるいは、
小ネタ満杯の「オタク映画」にするとか・・・

「アキバ製作映画『ダ・ヴィンチ・コ-ド(萌え)』」
が完成すれば、小説以上に映画も
世界的にウケるだろう、
なんて私は思うのですが、はてさて⋯。






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