ブロークバック・マウンテン |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

ブロークバック

tengallon hat


好きになった人がたまたま同性だった、
そういう恋愛って、
世間にいくつも実在する事実で、もしかしたら
異性に恋した経験しかない私自身にも、
いつしか おとずれる形かもしれない。
たまたま ふたりが巡り会って、
心と心が触れあって、
恋へと堕ちるのならそれも幸せだと思う、
たとえば既婚者に恋心を抱くのだって
出会ってしまって、堕ちたなら
恋として成立するののは「有り」だ。
だから私には同性愛を否定したり、
嫌悪したりということは、ほとんどなく、
肉体的にも つながるのだって、OKだと思う。

思うけれど、本日今現在のところ、
女である私にとっての恋の相手は男性であって、
私が女性に友人以上の感情を抱くとしたら、
よほどの環境の変化か、死と隣り合わせになるか、
よほどの相手に巡り会わないことには考えられない。
私が女性に恋するということは、
天と地がひっくり返るほどの内面の変化なので、
ようするに私には“その気”がほとんどない。

とはいえ過去に、同性愛を描いた映画に、
おそろしいほど共感して泣きはらし、
あまりの悲恋に、うち震えながら帰宅した覚えがある。
ようするに恋の苦しさは痛いほど味わっているので、
同情も共感もする。
けど。
映画『ブロークバック・マウンテン』は
私には物足りなかった。

映画のあらすじは、↓こう。

1963年、ワイオミング州ブロークバック・マウンテン。農場に季節労働者として雇われたイニスとジャックはともに20歳の青年。対照的な性格だったが、キャンプをしながらの羊の放牧管理という過酷な労働の中、いつしか精神的にも肉体的にも強い絆で結ばれていく。
やがて山を下りたふたりは、何の約束もないまま別れを迎える。イニスは婚約者と結婚、一方のジャックは定職に就かずロデオ生活を送っていた⋯。

      *本年度アカデミー賞監督賞他、各章受賞。


ふたりが恋に堕ちるにしては、
あまりにもアメリカはワイオミングの風景は美しく、
そこは過酷な労働を強いられる僻地ではなく、
私には都会の喧噪から離れた楽園に思えてならなかった。
その楽園に男と男がふたりっきりで暮らし、
あっという間に恋に堕ちるのだ、
元々ふたりに“その気”がないと納得できない。だから
あの「合体♪」はあまりに不自然で、呆気に感じた。

ただし、映画の男ふたりに
元々“その気”があったということは、
物語が進むにつれ、デリケートに描かれ
観ている側にも わかってくるけど、
私的には映画の冒頭で急激に結ばれたふたりに、
「へ⋯」と戸惑っているうちに、映画は終わり⋯。

すんません、この映画、
私には「ゆるい」ですわ。
太陽の下で健康的に接吻されても、
青空のもと、すっ裸でじゃれ合われても、
健全な同性愛者にしか観えんっちゅうに。
秘めたる恋って、もっとジメジメと陰湿で
泥々してると思うねん、昼より夜に忍び合う、
そんなイメージ。時代が現在ならまだしも⋯
お国柄の違いかなぁ、
明るい同性愛宣言に見えてしょうがなかった。
といっても映画の後半は
恋を終えた友人への行動が主になってくるので、
ここからは個人的にはよかった。

あと、この映画で強く感じたのは、
アメリカというデッカイ国は、
宗教なしには団結できないんだ、ということ。
そのあたりの内情は わかったから、
それを他の国に強要しないで。


★★★★☆☆☆ 7点満点で4点
不器用なカウボーイを演じた
ヒース・レジャーが良かった。一方、
相方のジェイク・ギレンホールは もう一歩。

映画全編に流れるギターの音楽がすばらしい。
素晴らしすぎて爽やかなイメージを受け、
禁断の愛を想像するにはインパクト不足だった。
たぶん個人的にカントリー・ミュージックが
好きではないのが原因だと思う。





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