ライフ・イズ・ミラクル-2 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

アップロバ


失恋して自殺願望のあるロバ。
涙を流して、その身を線路に投げ出して 通せんぼ。
この映画はロバの悲哀と慈愛を描いた感動作
‥‥ではないけど、ロバが要所要所で大きな意味を持つ。
ロバは女神のようでもあるし、不条理への反逆形でも。
ロバロバロ~バ~ロバ~♪
(『ドナドナ』のメロディーで歌ってみよう)

~前回のつづき~


『ライフ・イズ・ミラクル』を観ながら
あたしは カッパドキアのことを想っていた。

カッパドキアはトルコの東部、
キノコ形の巨大な奇岩が連なる風景が有名な村で
あたしが そこを訪れたとき、
あちこちの名所でロバを見かけた。
どのロバもロープで繋がれていて、
ユニークなキノコ岩を背景にしているせいか、
ロバはポツンとそこにいて、
浮かれ気分で訪れていた観光客の あたしには
なんだか かなしい風景に映ってしまった。
ことのほかロバの目が哀しく、
物言わぬ、うなだれた姿も寂しくて。

あたしはゾウと並んでロバは
「泣かせ役者」の第一位だと思う。
雄々しくタテガミをたなびかせ、
ナイトを さっそうと騎乗させるウマとは違って、
ロバは小柄で“泣き顔”で、だから、
三枚目をかって出る縁の下の力持ちだ。
思い起こせば、関西っ子には お馴染みの
『ロバのパン』も実に悲哀にみちていた。
ンッパ ンッパ♪ ロバのおじさん チンカラリ~ン♪

その悲哀を帯びた三枚目役のロバが、
『ライフ・イズ・ミラクル』では、
大きなポイントを担っているのだけど、かといって、
ロバゆえに「お涙頂戴モノ」かというと、そうではない。

映画のイントロ部分で、いきなりロバが登場、
その画面の美しさときたら!!!
朗々と続く大地とロバ。その描写に目を奪われ、
あたしは一瞬にして
『ライフ・イズ・ミラクル』に落ちたのだった。



『ライフ・イズ・ミラクル』の予告編を観たとき
あたしは主人公のルカという おじさんが
若い娘を捕虜として かくまううちに、
道ならぬ恋に落ちてしまう、
そんな刹那が物語の中心なんだと思った。
ところが、実際に観てみると少々違って、
もちろん『ロミオとジュリエット』のような
“許されぬ恋”は物語の核には違わないけれど、
ルカの恋のお相手が 中盤になって
ようやく登場することからして この映画は
恋愛映画というより人生讃歌だ。

平凡につつましく生きようとしていた ルカおじさん、
彼を あれよあれよという間に
ミラクル・ワールドに巻き込んでいったもの、
それは戦(いくさ)。 映画の前半では、
1992年のボスニア紛争に至るまでの経緯が
ルカとその家族と“ロバに守られた村”を通して、
深切に、そして冗談を交え
まるっきり寓話のように描かれている。
「戦争など起こらない」
そう思っていたルカだったが ある日、
息子を兵にとられ、全てが一転する。
のどかだった村は戦火に巻き込まれ、
ルカの“家”も崩壊。けれど、
「今、わたしは死ぬのかもしれない」
そんな絶望のどん底で、
人は愛を呼び寄せることができるのだ。

これから映画館で『ライフ・イズ・ミラクル』を観る
という方は、どうぞ『恋愛映画』だとは思わないで
『ロバとおじさんの人生讃歌』だと思って
ゆったりと着席してくださいまし。

    こぶりん

以上、ささやかな こぶちゃんからのお願いでした。
  ~感想は次回に続く~


※注【ロバのパン】ロバが屋台を引いてた路上のパン屋さん

●まだまだ『SW3』は観られへんにゃ! と
日々ギリギリまで追い詰められている
コマ犬の相方・でこのブログ