紅いコーリャン |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

涼花


雨水が落ちてくる6月は、
なぜか水無月という。この月、
近所の街路樹の緑は ますます色濃く、
あたりの空気までが緑茶色に染まっていそう。
ごくり、と飲みたくなる。


緑が色濃い映画といえば、
父と子の心の交わりを描いた
『山の郵便配達』という映画が思い出す。
“山の”とつくだけあって、
緑 みどり 碧 翠 ミドリーであった。
毎日観たなら、視力が回復しそうな、
それぐらい緑が美しい映像だった。
もちろん、お話の方も
心にジンワリ染み入るいい作品だった。けど、
あまりに緑が心地よくて、
途中で コクッコクッと あたしゃ寝てしまった。

緑や青は癒しの要素が強く、
ふわふわと気持ちよくなってくる。
では反対に赤い映画だと どうか、というと、
コマ犬の相方の でこが
この間観たという『紅いコーリャン』。
あれを最初に観たときのこと、あたしは…
やはり居眠り。赤でも睡魔はやってきたのだ。

『紅いコーリャン』を観たのは
京都の大宮にあった小さな映画館で、
中国の映画を劇場で観るのは初めてだった。
劇場へは、チーとナオミと あたしの三人で
はりきって出かけたまではよかったが、
ナオミは鼻ちょうちんに イビキまで ともなって熟睡、
チーは欠伸をしたり、ポップコーンを食べたり、
終始 ガサガサガサガサ落ち着かない。
一番端にいた あたしも座席から ずり落ち、
目は うつろになってた。
とにかくストーリーが退屈で退屈で仕方ない。
紅い色の画面が また、催眠術をかけるのだ。
「ねむれ~ねむれ~」。

映画が公開された当時、
女性から絶対的に支持されていた雑誌
『an.an』の映画コーナーを淀川先生が担当されていて、
ある週で先生は、『紅いコーリャン』を大絶賛、
「大人は観なさい」とのこと。
ミーハーで見栄っ張りだった うちら三人は、
先生がおっしゃられるなら‥‥と『紅い~』を観たわけだが、
どこがいいのかさっぱりわからん。
当時、あたしはエンターテイメント系の映画でないと駄目で、
だから日本軍の残虐性とか、描き方がどうの、とか、
思考は そっちへは まったく向かず、ひたすら
映画館を出た後の飲み会は どの店がいいか、
そればかり考えていた。

映画が終わった後、あたしら3人は
「あ~あ、つまらんかった! 損したなっ!
 音楽も暗かったし!」
とか なんとか 不満を吐き捨てた後、
とっとと祇園へ出かけて朝まで飲んでた。
映画のことは全く語らず。

「中国の映画なんて辛気くさい」
そう思っていたあたしが、その10年後、
『紅いコーリャン』を東京の劇場で再観することに。
なんたること、今度は
たいくつどころか、一場面一場面が
胸に突き刺さるかのように迫ってくる、
紅い紅い中国の大地が。
コン・リーの生々しい演技も、音楽も。

あたしがチャン・イーモウという名前を
映画選びをするときに意識するようになったのは、
二度目に観た『紅いコーリャン』から。
ただし、同監督の近作『HERO』『LOVERS』は、
中国映画界のために作った、親父的作品のように思え、
ちと意識からは遠のいているが。

相方のでこは 最近のコン・リーを
渡辺えり子さん に似てるという。
貫禄という点では分かるが、
あたしゃ吉行和子さんの方がしっくりくるなぁ。
というのも、この間『若き仕立て屋の恋』を観たとき、
映画館のロビーにコン・リーが着用したという
チャイナ服が展示してあり、
それはそれは ほっそりした黒いドレスで。
華奢な人なんやなぁと
チャイナから持ったイメージが
あたしの場合は強いのであろうな。


ところで、今日からあたしも
記事を書く度に育つという「メロメロパーク」を
ブログ内に置いてみた。
名前は「こぶ」ちゃん。里親は「でこ」。
「メロこぶ」の性格は
「ムダに元気でちょっとアホ」らしい。
これからどう育つのか見守ってみよう~。

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相方へのつっこみ本日分





でこぶ



ほーれ! そっくり!

●どうやら渡辺えり子のファンらしい
 コマ犬の相方・でこのブログ