雑感・売春窟に生まれついて-4 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

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ひとりの力なんて
たかが知れてるけれど、されど、ひとり、
最後はひとり。けれど孤独じゃダメ。

~昨日のつづき~


さぁ、今日もこぶちゃんの説教部屋へようこそ。
土曜日でお仕事や学校がお休みのあなたも、
お忙しいあなたも、お急ぎでなければ、
どうぞ ごゆっくし。


争いごとが まったくなくなったり、
意見の食い違いやすれ違いが消えてしまう、
そんなことは あり得ない。
ただし、人が人の命を踏みにじって、
圧力で押さえ付ける方法は、
必ず悲劇と苦痛と“心の貧困”を招くだけ。
これまで、同じあやまちを人類は繰り返しながら、
なぜ懲りないのか、なぜ戦争を繰り返すのか、
なぜ、インドは病めるのか。

たとえば、あたしは それらを地球環境の危機を含めた
ゴミ問題と同じ次元だと考えている。
「あたし ひとりが頑張って、やれ不燃物だ
 やれ可燃だのと分別したところで、
 何も変わりはしない、ま、いいか~」
これではダメ。人間なんて もともと
怠けるように作られているのだから、
堕落は伝染し、それが無関心を生む。
環境汚染問題と真剣に取り組むためには、
まず個人個人の意識が変わらないと前進しない。今どき、
「えーい! めんどうだからタバコを道端にポイッ!」
とか やってる人を見かけたりしたら、
「なんてダサイ奴なんだろう」と思うもんねっ。

そういえば‥‥
この間観た『コーヒー&シガレッツ』には、
くわえタバコやポイ捨ての場面は
ひとつもなかったなぁ。ま、大昔には、
それらの「タバコ・ポーズ」が渋さだったり、
男の影だった時代もあったけど(ユーサクとかショーケンとか)、
今やそんな悠長な時代ではないのだ、
携帯灰皿を持ち歩いてこそ、かっこいい男なのだ。

さて。ゴミ問題と同じで、
戦争という“憎しみの数珠つなぎ”も同じではないのか。
平和を諦めることが一番いけない、と考える。
「あたしひとりが 頑張ったところで、
 なにも変化なんておきないもんね~」
とか、
「政治家がやればいいことで、
 あたしには関係ないこと」
とか、
「争いごとがなくなるなんてありえない、
 平和を となえても無駄だ」
こういうのが一番、だめ!

そりゃ、あたしが体をはって、
バクダッドの中心部に立ちはだかり
「戦争反対!」と訴えたり、
インドの病める村を救いましょうと、
新宿駅でメガホンを手に声を張り上げたところで
「妙なヤツ」だと後ろ指を差されるだけで、
何も変わらない、笑い者になるだけ。
ガンジーの亡霊においでいただいた方が全然まし。

が、小市民のあたしにだって できることはある。
信用できるところへの寄付や
ボランティアも ひとつの方法ではあるけれど、
もっと別の、ずっと長く、いつでもできること、
それは「問題と対話すること」であり、
「人と人とが語り合うこと」。
たとえば それは、あたしと 相方の でこが、
時として物事の捉え方が違った場合などは、
議論し、自分の考えを口にすることだ。
けっして「相手を言い負かす」ためではなく、
また、自分の立場を誇示するためでもない、
相手の人格や主義主張を尊んだうえでの
貴重な“感性交換”ではなかろうか。
そこには私利私欲などないし、
お金を得るための仕事として やってるんじゃぁない。

もともと日本人は、話ベタだったり、
性格がシャイだったりして、
なかなか対話というものは成立しにくい。
「政治」や「戦争」や「生き方」について、
心をくだいて話せる友も 時も少なかろう。
けど、きっかけがあれば…
また事情は変わってくる。

だいたい、平和なんてものは、
一朝一夕でやってくるものではない。
話し合うということ、
民主主義というものは
めっちゃくちゃ面倒なシステムだから、
たくさんの時間が必要なわけで。
現に日本だって、戦後60年の今年になっても、
穏やかな事情ではないのだ、
だから夜に話し合ったことが次の朝には反映され、
世界が大変化してる、なんてこと あったらコワイ。

民主主義を浸透させるために必要なものは、
どこまで辛抱できるかという忍耐であり、我慢くらべだ。
が、我慢には人によって限度があるだろう。

泥沼を這いずり回って生活している者の横を、
デジカメと携帯電話を持ったオープンカーが通ったら、
そりゃ~「あっちの方が楽でいいわ、アホらし」と、
我慢を やめる者が続出してもおかしくない。
中には暴力に走る者、権力に群がる者も出るだろう、
けど、諦めないヤツもいる。

『ホテル・ルワンダ』と『売春窟に生まれついて』という
2本の映画が日本では公開される予定が今のところない、
この事実は とっても寂しい、けれど、
あたしは事態を前向きに考えたい、
映画が未公開になったおかげで、
こんなふうに「平和」について話せるチャンスが出来た、と。

将来的に2本の作品が
日本で公開されることを切望しつつ、
こちら日本という小さな島国に住むあたしらは、
「屋台で一杯飲みながらレベル」でもいいし、
「ブログ レベル」でもいいし、
語ること、議論することは続けるべきだし、
けして止めてはいけないと心から思う。
これは一見すると小さいけれど、実は大きな第1歩。
ゴミ問題や地球環境問題だって同じこと。

そうして、やがて気付くでしょう、
他人と語り合うためには、
まず自分自身と いかように対話するか、
これが大前提となる、と。

論弁は まだまだ続きまっせ、お楽しみに。

●あたしの対話の相方/コマ犬・でこのブログ