A.I. その1 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

相方はたぶん、こやつらにガッカリしたのだ。
これは今からずっと先の、
氷河期から2000年後の「A.I.」たち。
最初に現れた時、あたしは「オスカー像や!」と思ったがな。
けど、オスカー像が輪になってた場面は、
いかにも理想的な平和の絵ズラやし、
こんな単純な姿の「A.I.」は有り得そうな気がする。


ディズニーの『ピノキオ』を絵本で読んだとき、
あたしは まだ子どもだったけど、
もうすでに へそ曲がりだった性格もあって、
お話の中に ひっかかりをもってしまった。
それは木の人形が人間に憧れて‥‥というところと、
様々な困難を通り抜けた結果、
人間に生まれ変わってハッピーエンド、
ここにも疑問をもった。ようするに物語の「そもそも」と
「おしまい」が気に入らないのだから、
お話全体を否定しているということで、つまり
あたしは『ピノキオ』というディズニーのお話が苦手だ。
ディズニーの、と わざわざ書いたのは、
元々の原作『ピノッキオ』は
ディズニーとは違って どぎつい表現や事件があり、
どうやら子ども向けというニュアンスでは ないらしい。
ただし、お話の流れや結末は
ディズニー版と さほど変わらないらしいが、ともかく、
子どもの頃に出会った“ディズニーもの”が
出来心に残していく足跡は大きいはずで
良くも悪くも感性を左右されている人は多いだろう。
かくいう あたしもそのひとり、『ピノキオ』もそう。
たいたい『ピノキオ』は ひどい、
「人間になりたい人形」だなんて、
めちゃくちゃ愚かな発想だと思う、それって、
人類が地球最上の生命体で、他の生物にとって憧れの的
と言わんばかりの、人間のおごりではなかろうか。

スピルバーグ監督の映画『A.I.』を、
この間、TVの日本語吹き替え版で観たところ、
あたしが「あ、この映画 わかってるなぁ」と頷いたのは、
例の『ピノキオ』が明け透けに下敷きとなっているところで、
さらに『ピノキオ』を完璧に食ってしまおうという
強気なところが あたしの好み。そもそも、スピルバーグが
キューブリックから引き継いだという
映画の素が私的大歓迎で、「反ディズニー」っぽい皮肉が
映画の骨格となっているのもオッケー。
この映画であたしが受けた印象は、
「未来版ピノキオ」が主人公の、
『人類の痴呆がもたらす未来への警告』って感じ。
ファンタジーは、苦いものを呑みやすくするための、
オブラート的な役割だと映った。

さらにさらに、『A.I.』の感想を
クドクドと続けるために余談を書いておくと、
今現在、人間が化学という名の元に行なっている
遺伝子組み替えとかクローンなんて実験が、
あたしは大きらいなん。
実験の現状をニュースで知るたび、やがてそれが
人間が人間を創造するという、
「いかにも私は神です」みたいな、
悪夢を絵に描いたような発想が世の中をまかり通る、
そんな暗黒時代のハシリのような気がして、胸クソ悪い。
アシモくんとか、アイボくんとか、介助や愛玩が目的の、
シャレで笑える道具であれば まぁ良かろう、
「もっともっと」と発展を期待する気持は
人間の良きところでもあり、愚かなところ、
遠くない未来に“愛という不確かなもの”を、
化学という名の元にインスパイアされた「愛型ロボット」が
本当に生まれたりしたら‥‥
ほんま かなわんなぁ~。 (つづく)

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でこー! 今日TVで『オーシャンズ11』をやってたどー!
最後の方しかみ観られへんかったけど、ビデオに撮った!
さぁ観るど! 「12」も観るど!
しかも「12」のヴァンヴァンは ごっつええらしい。
「11」はなぁ、ちょっと観ただけやけど、
ジュリア・ロバーツが えらい隙っ歯で
なんか不細工やったような…?

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