最近はめったに表立って

披露することはなくなったが

 

瞬間に即興で舞をしたときに

居合わせた人が

 

「どうしたらそのように

自由な表現の踊りができるの?」

と、聞かれることがよくある。

 

 

それは舞という表現もしかり、

 

写真での衣装や下着の選択と

ポージングという名の舞もしかり、

である。

 

 

 

30代、定期的に場所をかりて
3時間ほど踊りこみ、舞動画を撮影してたころ

 
 

そんなとき、さらっと答える。

 

平たく言えば

人前でセ ックスやオ ナニーを

見せるようなもの

だ、と。

 

 

だから人前で、それを見せて

表現できるような感じになれば

自由な表現ができるはず。

 

 

セ ックスやオ ナニーを自分のしたい

ように自然にできて

 

パートナーとも性のコミュニケーションが

とれるようになり

一方通行でない相互の関係性となる。

 

 

そうなると、自然にオープンに

自分自身の言動が変化していく

はずだから

 

言葉なり身体の表現もできるように

なっていくだろう。

 

 

……と、書いていたが失念していた。

 

もう一段階のステップが

必要かもしれない。

 

それは「人の目を気にすることを

越える

ということだろう。

 

自由に自分がしたいように

表現するとは

他人の目をいかに気にすることなく

出せるか、だから

 

羞恥心や自分をよくみせたい、とか

キレイに見られたい

人の評価を得たい

褒められたいとか

 

そのような期待や願望を

いかにはずしていくか、である。

 

 

相手の好みでないかもしれない。

 

流行りでもなく、一般向けで

ないかもしれない。

 

 

決して美しくもなく

生々しくてきたないかもしれない。

 

自分のそのままさらけだし

いま、この瞬間に

表現したいことを

 

あくまで自分に忠実に

出せるか、ということである。

 

 

 

だからわたしは表現者として、

 

美しい、神聖なものとみるか?

生と性の生々しいものとみるか?

 

意見が分かれるであろう

 

タントリックヒーリングを受けて

オーガズムを感じている

 

自分のオーガズムフォトを藝術作品して

シェアしている。

 

 

 

 

文章の世界において

最近物書きともなった、自分への

激励としたい言葉を紹介。

 

小説で成功するには

日本橋の真ん中で素裸に

なる勇気が要る

(岡本一平)

 

藝術家の岡本太郎の父

岡本一平が妻

かの子に言った言葉。

 

小説家に転向しようとする

妻に対し、とことん自分を

さらけ出すようでないと

よい小説家にはなれない、と

いうことだろう。

 

 

最近、エッセイや和歌

短編の官能小説的なものを

書きすすめてきて

 

まさしくそのとおりだと

実感するばかりだ。

 

 

近頃の自分の内側には

燃え盛るような

熱いエネルギーが満ち満ちていて

 

それを藝術のなんらかに

表現として出したい、

 

全身全霊で出し尽くして

焼き滅ぼされてもいい、という

くらい

 

塵も後悔も残さず

 

数学的な「0」ゼロへと

還ってゆきたい。

 

※「0」ゼロは全くない、無ではない。

あらゆる可能性を含む

ニュートラルな場という

個人的な認識を持っている。

 

創造のプロセスとして

 

生と死

破壊と再生

 

いったん更地になって

新たな創造に向かうのに

いったん還る場。

 

 

 

最近の気分でよく聴いてる

 

 

 

 

 

愛のタントリックヒーリング

 

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