喫茶店で誰かを待つなんて、何年ぶりだったでしょうか。
それも、名前も顔も知らない相手を。
自分が座るべき席なのかどうかもよくわからず、店員さんに促されるまま一番奥の席に座りました。

 

緊張していたんでしょう。
「水、お下げしますね」と言われて、「あ、はい。お願いします。あ、すみません、はい…」と、
なんとも要領の悪い返事をしてしまいました。
水を下げられるだけなのに、なぜか頭を下げてしまった自分がいて、少し恥ずかしくなりました。

 

その日、私は時計をいつもより念入りに磨いて出かけました。
昔エジプトに行ったときに買った銀箔のやつです。
家を出る前に一度、鏡の前で腕を曲げて、袖の隙間から時計がどう見えるかまで確認しました。
……誰がそんなところを見るのか、今思えば滑稽です。

 

待ち合わせの時間よりも20分早く着いて、空いていた窓際の席に座りました。
人の出入りが見える場所のほうが、安心だったのかもしれません。

 

外を行き交う人たちをぼんやり見ながら、
「やめておけばよかったかな」「でも今さらドタキャンも…」と、
同じようなことをぐるぐると考えていました。

スマホの画面には、彼女からの「○○駅の出口、もうすぐです」とだけ書かれたメッセージ。
その通知を見たとき、私は無意識に背筋を伸ばしました。
なぜか、胸ポケットに手をやって、ペンが入っていることを確認してしまいました。
会話にメモを取るつもりだったのでしょうか。今となっては自分でもよくわかりません。

 

彼女が店に入ってきたのは、約束の5分前。
目立つ服でもなく、媚びるような雰囲気もなく、
髪を無造作にまとめて、こちらを見つけると小さくうなずいてまっすぐ近づいてきました。

「あの、こうじさんですか?」

 

“こうじ”と呼ばれるのは、アプリの中だけのことでした。
友人にも家族にも、そう呼ばれたことはありません。
でも彼女の口からその名前が出たとき、不思議と落ち着いた気持ちになりました。
本名じゃないのに、自分が「見つけられた」ような気がしました。

 

彼女はよく話す人でした。
学校の話、バイト先の話、趣味や推しの話まで。
私はというと、うまく言葉が出てこなくて、
「へえ」「そうなんですね」「それは大変ですね」と、どこかマニュアルみたいな返事ばかりしていました。

 

 

途中で、彼女が少し笑いながら言いました。
「大人の人って、話を聞いてるようで聞いてないんですよね」
「ギクッ」と音がした気がしました。
胸の奥、何かを突かれたような感覚でした。
返す言葉が出てきませんでした。
彼女が悪いわけではありません。むしろ、本当にそうなのだと思いました。
会社員をしていたころ、私は部下の話をよく“聞いているふり”をしていました。

 

「なるほどね」とか、「それで?」とか、相手が話しやすいように言葉を挟んで、表面上は「話を受け止める上司」の顔をしていたつもりでした。

 

でも実際は、結論を急いでいたのです。

 

部下の言葉の裏にある本音や、感情の揺れに触れるよりも、
「この件、どう処理するか」ばかりを考えていた気がします。

 

彼女の一言を聞いたとき、あの頃の自分の顔が、ふいに浮かびました。
情けないことに、私はずっと、誰かの“話す力”ばかりを見ていたのかもしれません。

 

“聞く力”を、どこかに置き忘れたままにして。

 

私はただ、黙って彼女の目を見て、ゆっくりとうなずきました。
それが、あのときの私にできる唯一の返事でした。


 

帰り道、私は駅のベンチにしばらく座っていました。
歩く気が起きなかったのではなく、なんとなく、あの会話の余韻が残っていたのです。

ポケットから銀の時計を取り出して、何度も布でなぞりました。
あの日と時間が違うのは、当たり前のことかもしれませんが、
ほんの少しだけ、自分の時間も進んだように感じたのです。

 

 

次回「もう一度会いたいと言ってしまった」

 

女子大生に“信じ直した”と言われた日

 

 

この文章を読んでいるあなたが、もしも30代か40代、あるいは50代に近い男性なら。
最近、誰かと心から話した記憶がありますか?

 

私はありませんでした。
それに気づいたのは、45歳のとき。会社を辞めた年です。

 

理由はいろいろあります。
部下との関係、家庭の空気、身体の疲れ。
そのあたりのことは、またいつか。

 

夜はスマホばかり見ていました。
SNSで誰かの失敗を眺めて、ニュースにひと言、芸能人にひと言。
誰かを叩くでも、褒めるでもなく、「ああ、今日も終わったな」と思う日々。
そしてふと、気づくのです。今日は誰とも会話をしていない、と。

 

その夜、出会い系アプリを開いてみました。
45歳の男が、です。
我ながら身の程知らずだったと思います。
プロフィールを書いて、読み返して、ちょっと気持ち悪くなりました。

 

でも、メッセージが来たんです。
最初に会ったのは、19歳の大学生でした。

思いがけない若い出会いに戸惑いつつも集合場所へ向かいました。

 

待っていたのは、驚くほど落ち着いた子でした。
会話の途中で、彼女はこう言いました。

 

「こうじさんみたいな人が、社会にもいたんですね」

 

何か特別なことをしたわけではありません。
ただ、彼女の話をさえぎらずに、ちゃんと聞いただけでした。

それが、思ったよりも響いたらしいのです。

 

あれから、何人かの子と会ってきました。
モテているなんて思っていません。
でも、話しているうちに、表情が和らいでいく。
その瞬間だけは、妙に静かな嬉しさがありました。

最近、ある子がこう言いました。

 

「こうじさんのこと、就活の自己PRに書いちゃいました」

 

思わず笑って、「なんでそんなことを」と聞いたら、
彼女は静かに笑って言いました。

 

「社会のこと、全部嫌だったけど…こうじさんが、信じ直すきっかけになりました」

 

何かを教えたつもりなんて、なかったんです。
それでも、自分という存在が、誰かの“何か”になった。
そう思ったら、不思議と落ち着かなくなってしまって――

 

今、こうして書いています。

自慢ではありません。
ただ、こういうこともある、という話です。

 

次はもう少し具体的なことを書こうと思っています。
初対面の女の子と何を話したか、距離をどう詰めてきたのか。
年齢や見た目に関係なく、人とつながる方法について。

 

うまくいったことも、うまくいかなかったことも、正直に。

また、読みに来てくれたら嬉しいです。