2年生のA君が膨れっ面でやってきた。今日はいったい誰先生への不満なんだ?
「英語のB先生、何とかなりませんか? 訳が間違っているんですよ。英語の得意なCが毎時間指摘しています。最後に訳をプリントして配るんですが、だったら授業中の誤訳には、いったい何の意味があるんでしょうか?むしろB先生の英語力の無さを僕らに知らせることになってるってことに全く気づいてないんですから……」
「悪いけど、他教科に対しては口出しはできないなあ」
「じゃあ、古文のD先生を何とかしてくださいよ。D先生は、例えば、『枕草子』の〈雪のいと高う降りたるを〉だとすると、『いいですか、今から訳を読み上げますから、ノートに写してくださいね』と言って、〈雪が、たいそう高く、降り積もっているのに〉って感じで、30分かけて訳を読み上げるんです。時間の無駄だと思ったので、『先生、訳を配ってください。前の先生は訳を配ってくれました』と言ったんです」
「前の先生って僕のことかい(笑)」
「はい(笑)、そうしたら、『それでは力がつきませんから、聞き取って写してください』と言われたので、『同じことじゃないんですか?』って訊いたんですよ」
「じゃ、何て?」
「『書くことに意味があるんです』って。意味不明~!」
「ホントに意味不明~(笑)で、その後何やんの?」
「文法の説明です。あ、授業の最初に訊くんです。『訳が先がいい? 文法が先がいい?』って」
「何で訳と文法説明を切り離すんだよ? よくわかんないなあ。単語、文法、現代語訳は古文教師の〝三種の神器〟だからね。簡単に生徒に渡してちゃっては、教師の優位性が保てなくなるからなあ」
「でも、去年、先生は、全部渡してくれましたよ?」
「僕は〝三種の神器〟を渡したとしても、〝天皇〟でいつづけるだけの〝自信〟と〝力〟とは持っているつもりだもの。それに、『訳を配ったら力がつかない』ってのは妄説だよ。周りを見てごらん。去年、僕に訳を配られた生徒たちと他の先生に訳を配られなかった生徒たちとで、全く力の差はないでしょ?」
「はい、ないです」
「訳と品詞分解表を先に渡した方が、予習もしやすいでしょ? 去年、君と同じクラスだったEさんのノートには、僕が配った訳と品詞分解表を使って、きちんと予習がなされていたよ。その上、辞書調べもちゃんとしてあった。教科書ガイドもあるんだからさ、訳や品詞分解が教師にとっての〝最後の砦〟にはならないんだよね」
「先生、D先生にそれを言ってやってくださいよ」
「無理、無理。去年、言ったけど、聞き流されてしまった。30年以上古文を教えてきて拠るべきものを何も持たないんだから、許してやってよ。本屋に行けばチャート式とか『古文の核心』とか、良質の参考書を売ってるんだから、それで自習するんだね。君たちが大人にならなくちゃ」
「は~い(><)」