〝私淑〟① | 好文舎日乗

好文舎日乗

本と学び、そして人をこよなく愛する好文舎主人が「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつ」けた徒然日録。

昨日、喫茶店に入ったら、同窓会の帰りと思しい数名の男女の会話が耳に入った。

「××先生も歳とったんよなあ……」

15年ぶりかぁ……」

「俺は卒業後も先生に時々お会いしていたけどな」

「△△は××先生に私淑していたからなあ」


驚いた。「私淑」とは、「直接教えを受けたわけではないが、著作などを通じて傾倒して師と仰ぐこと」(『大辞林』第三版 三省堂2006.10)なのである。高島俊男(「わが私淑の師」[『本が好き、悪口言うのはもっと好き』大和書房1995.2  文春文庫 1998.3])は次のように述べている。

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(前略)師と仰ぐ人は自分の存在を知らない、というのが、私淑の基本条件である。だから、尊敬の念抑えがたく手紙を差し上げてハガキ一本の返事でももらってしまったら、厳密にはもはや私淑ではない。/個別には空間をへだてているばあいと時間をへだてているばあいとがある。つまり、司馬遼太郎先生や丸谷才一先生に私淑するばあいと、福沢諭吉や夏目漱石に私淑するばあいとがある。(中略)一般には空間をへだてたばあいに用いられることが多いように思われる。しかしあとに言うようにもともとは孟子が孔子に私淑したのだから、時間のへだたりが本来とも言える。(4445頁)

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高島は「私淑」の出典を示してくれている。6組の諸君、調べてごらん。中国の話だということで、くれぐれも担任の先生を利用しないように(笑)。明日も「私淑」について書く。