〝これが「標準」ではありませんから①〟 | 好文舎日乗

好文舎日乗

本と学び、そして人をこよなく愛する好文舎主人が「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつ」けた徒然日録。

「信頼する先生のもと/何度も繰り返し書き直し/自分の言葉で小論文を/書くことを追求した」と題したA君(T大学文学部国文学科1年生)の合格体験記が某社の受験情報誌の9月臨時増刊号に掲載されている。A君は、お母さんが中学校の国語教員であることもあって、国語、中でも日本古典文学に興味・関心を抱き、将来はその面白さや大切さを伝えたいと早くから教員を志望していたらしい。昨年の7月下旬に突然、僕のところへやって来て、「T大の国文学科の推薦入試を受けたいと思います。選考は書類審査と小論文です。添削指導をお願いできますか?」と言われた時は驚いた。僕が彼に抱いていたイメージは、「勉強にも真面目に取り組む、〝爽やかな(そう、A君ほどこの言葉がピッタリな生徒はいなかった)高校球児〟」というものであり、秀抜な読書感想文を書く子だという印象はあったものの、今や瀕死の学問である国文学とは、彼の〝爽やかさ〟が到底結びつかなかったのである。ただ、彼のように誠実で勤勉な生徒が国語教員になってくれたとしたら、わが県の低レベルな国語教育も少しは改善されるのではないかという期待感は持つことができた。そのため、A君への指導は、推薦入試に合格するための指導であることはもちろんであるが、他方で国文学科の学生としてやっていけるだけの下地を作っておくための指導という意味をも必然的に担うようになったのである。指導の実際について、A君は次のように書いている。

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入試対策は、オープンキャンパス直後の7月の終わりからはじめました。入試は小論文のみで選抜するため、文章構成力、表現力を高める必要を感じました。T大の入試問題は他大学のものとは傾向が違うので、T大の過去問だけを6年分取り組みました。

添削は現代文担当の先生にお願いし、論旨の方向のつけ方や結論の出し方、文章表現などを教わりました。先生はいきなり小論文を書かせるのではなく、ゆっくりと対話からはじめてくださいました。あるテーマについて私が興味を持ったことや不思議に思ったことを挙げると、「こういう考え方もできます」「それについては、こんなものもあります」と先生が考え方の方向性を示してくださったり、参考資料を教えてくださるやり方でした。

文章はひとつの過去問につき10回ほど書き直しました。先生からなかなかOKをいただけず、何日も悩んだこともありました。書き直しを繰り返し、型にはまった文章ではなく、自分の言葉を使って応用の利いた文章を書けるようにしました。

とにかくまずは自分の書きたい内容をよく吟味し、そして書くことになれることです。センター試験・一般入試対策も並行して行っていたので、進みは遅かったのですが、そうして数をこなすことで小論文に慣れることができました。

これらの小論文の練習には、特に参考書は使いませんでした。その代わり、日本の四季、色、平安朝貴族の生活、後撰和歌集以降の勅撰和歌集などについての評論文を中心に、さまざまな本を読みました。私の志望学部の小論文は和歌に関するテーマが多いので、古代の風習や生活などのイメージを鮮明にすることで、志望学部の傾向に合った小論文のイメージも作りやすくなりました。また『Jポップの作詞術』(石原千秋著,日本放送出版協会)を読み、言葉1つひとつを大事にして短い文章(歌詞)のなかに込められた作者の想いや感情を読み取っていくというJポップへの視点を参考にして、小論文のテーマの分析に役立てました。

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一読して、よく編集部がこんな文章を載せることを許可したなと思った。他の生徒の「合格体験記」にある「入試対策」とは明らかに異質である。自分のやったことであるのを忘れて、大学院(国文学専攻)入試の対策かと思ったほどである。これを読んだ受験生がこれが対策の〝標準〟であると思い込み、T大学文学部国文学科の推薦入試受験を断念することがないように祈るばかりである。A君の文章の補足説明は次回に。