「プロフの〝尊敬する人は?〟にある後藤重郎先生って誰ですか?」と訊かれた。故後藤重郎先生は恩師である。先生については、いずれ『初山踏みの頃』で詳述するつもりであるが、かなり先の話になる。そこで、予告編の意味もこめて、先生が定年退職される際に捧げた拙文を掲げて繋ぎとする。
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思い出すことども
「君の人柄は極めて誠実であり、謹直である。それがそのまゝ学問にも現れてゐる。かういふ研究に倦まずたゆまず数十年の歳月を捧げることは容易ではない。それをなしとげた君の精魂に心をうたれるとともに、その研究成果が学界に対して寄与の大きいことを信ずるのである。」
右は、後藤重郎先生の『新古今和歌集の基礎的研究』(塙書房 昭43)に付された久松潜一博士の序文の一節である。以前、長谷川先生が「後藤さんの人柄は、久松先生の序文に言い尽くされているよね」とおっしゃったのを聞いて、なるほど、その通りだなと思った。後藤先生の講義を受けた者、ふだん先生に接する機会を得た者は、誰もがその誠実さに思い当たるにちがいない。
先生を敬慕する学生は男女を問わず、とにかく多かった。本山で偶然、先生にお会いすることができた、それだけでも嬉しかったのにお声まで掛けていただいた、と瞳を潤ませながらある女子学生が語っていた。「先生のご専門の女流日記で卒論が書きたい」と決意し、早くから講談社学術文庫をせっせと読んでいた奇特な(?)女子学生がいた(先生が毎年演習で女流日記を取り上げられたため、勝手に思いこんだのである)が、ご専門は和歌だと教えた時の落ちこみようは気の毒なほどであった。ある男子学生(私ではないから、念のため)など、先生のご講義を誰よりも真面目にノートしていたが、その疲れからか、他の講義はすべて睡眠時間に充てていた。
先生のご学問については、何の知識も持たぬ彼らではあったけれども、先生のお人柄に心底魅せられてしまっていた。彼らにとって先生は文字通り「偶像」であったのである。かくいう私も彼らに劣らぬ想いで、先生を仰ぎ見ていたのである。
女子5名、男子3名で、秋から『大和物語』を読もうと決めたのは、2年生の6月のことである。テキストは1年次、小沢正夫先生の国文講読Ⅱで使った校注古典叢書本にした。
同じ頃、目に入った文献(50冊は超えていたであろうか)を書き並べて「物語主要参考文献目録」と称するものを作り、後藤先生の所へお邪魔して、「どれを読めばよろしいでしょうか」と今から惟えば莫迦な質問をした。先生は目録を一瞥されるや否や、「みんなお読みになる時間はありませんか」とおっしゃった。喫驚してもう一度先生を見たが、当然ではないかというお顔である。なるほど、勉強とはそういうものかと思った。事情に暗い連中の「和歌の専門家に物語のことを訊くからそう言われるんだ」という嘲笑を買ったが、純情(?)だった私は、先生の言葉を信じて全部読んでしまった。特に歌物語関係はみんな買い込んだ。惟えば、必要な文献は多少(?)の無理をしてでも手許に揃えるという、私の本屋泣かせの勉強法はこの時から始まったような気がする。
これには後日談がある。大学院に進んでからのこと。国文学会室で独りで本を読んでいたら、見知らぬ女子学生が入って来て、「『万葉集』を勉強したいのですが、どれを読んだらいいでしょうか」と、どこかで聞いたような質問をし、1冊のノートを取り出して私に見せた。そこには優に20冊を超える文献が挙げられていて驚いたが、私は当然という顔をして「みんな読む時間はありませんか」と答え、にやりと笑った。その後、彼女がその20冊を全部読んだかどうかは知らないが、後藤先生のゼミに入ったという噂を聞いたことがある。素直そうな子であった……。