「サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の“With a little help from my friends”をカバーしてみました。Beatlooseです。
ポールのアイディアを元に、架空のバンドのショーに仕立てたアルバム「サージェント・ペッパーズ~」の1曲目の終わりに、“ビリー♪ シアーズ♪”と紹介されて、リンゴが朴訥な雰囲気で歌い始めるこの曲。当時の彼らのスケジュールは超過密状態で、この曲は一晩で仕上げた作品らしく、それもさることながら、もっと凄いのは、このアルバムが発表されたのが、1967年6月。はっぴ姿でJALのタラップから降り立って、我が神聖なる武道の聖地を3日間占拠した(当時はそういう意見も強かったんですよね)、あの時から、1年後に出されたのが、このアルバム「サージェント・ペッパーズ~」で、日本に来る数カ月前まで、「リボルバー」の録音をしていたそうで、ドイツや日本やフィリピンやアメリカでコンサートした後に、またまた「サージェントペッパーズ~」の制作に取り掛かって・・・ですから、彼らの本音としたら、『ほんま、もう勘弁してほしわ。どこの国行っても、皆さん、キャーキャー騒ぎ過ぎーぃ。まあ、レコードも買うてくれはるから、嬉しっちゃあ、嬉しんですけど。ほんまのこと言わせてもらうと、私らそんなんとちゃうしー。曲聴いてくれへんねやったら、演奏会開くん止めさせてもらいます~ぅ』と言うことで、8月のサンフランシスコ・キャンドルスティック・パークのコンサートを最後にツアー生活に終止符を打ってしまう。
“歌う時、音を外さないよう頑張って歌うためには、そして恋人がいなくなった時に独りぼっちさみしくならないためには、友達が必要なのだ! 愛すべき人が必要なのだ!”という内容のこの曲の“お友達”が、実は、ドラッグを意味していた(?)そうで、ボクはまったく知りませんでした。確かに、言葉を置き換えて歌詞を読んでいくと、なるほど~とつじつまは合う。パブロンゴールドの大量摂取なんかじゃない、もっともっと薬物依存していた頃の音楽業界がそこにはあって、当時はメンバー皆な、マジでヘベレケだったそうです。音楽やっている人達は皆なヘベレケでやっていけた、そんな時代だったのでしょうか。そしてリンゴは、ビートルズ解散後、ソロライブのアンコール曲には、必ずこの“With a little help from my friends”を歌っていたそうで、それは“Octopus’s Garden”でもなく、“Yellow Submarine”でもなく、“I wanna be your man”でもなく、“Don’ t pass me by”でもなく、ましてや“Dig it”では絶対なく、やはり“With a little help from my friends”。まさに、ここぞという時のこの1曲。リンゴスターが紅白歌合戦に出場するようなことがあったら、北島三郎の“風雪流れ旅”、細川たかしの“望郷じょんから”を払いのけ、オオトリで歌うのは、やはりこの曲。若手J-POPグループのメンバーや演歌の大御所たちと肩を組み、おどけながら歌うその光景が目に浮かぶ^^v 絶対、無い無い。
リンゴの人生において、“With a little help from my friends”との出会いは大きくて、『いざという時に使えるこの一手』みたいな、生きる上で武器になる、ウイニングショットを持ち合わせているか、いないかの差は大きい。生活に困窮した時、懐にカラオケCDを忍ばせて、街角のカラオケスナックに飛び込んでは、「私ねー、リンゴスター言いますねんけど。青森から来たんかって? そのリンゴと違いますやん! ビートルズって知ってはりますか? ハイヒールとちゃうんかて? よう言いはりますわ! ほな1曲、唄わせてもらいますわ~!」。もし仮にこんな営業活動をしたとしたら、それだけで結構稼げちゃうかもしれない。知り合いで、昔、牛丼チェーン店でバイトしていた経験がある奴が、仕事に就いては会社を辞め、その時の最後の決まりは、牛丼チェーン店への復帰。「以前、○○店で経験あります~」と言えば、即効で雇ってもらえる!と誇らしげに自慢していた。ビル清掃を若い時から地道に続けていたおっちゃんが、誰にも真似のできない極意を習得した時に、掛け替えのない存在として、80歳になっても、元気に現役でいられたりする。そんな暮らしが功を奏し、認知症などどこ吹く風。確かに稼ぎ的には、たいしたことはないだろうけど、この世の中におっちゃんの居るべき確固たる場所がある。片や、高学歴で、有名企業・官公庁のエリート街道まっしぐらの人生を歩み続け、いろいろ紆余曲折はあったけれど、無事に定年を迎え、さてこれからは自分のための人生を歩いて行こう! なんて思った矢先、奥さんから、「あとは、あなたの名前だけ書いて、役所に出しておいてください」。離婚届の入った置手紙。バラ色の筈だった人生の第2章は冒頭から波乱ずくめ。「仕事に懸命に生きることこそが、家族を守ることだ!」の人生哲学は、ものの見事に破綻してしまう。時間とお金は手にしたものの、実際何をやったらいいのか、やりたいことが見つからない。気の利いた趣味など元々ない。取りあえず、通帳に記載された、それなりの貯金と退職金を元手に、財形などの算段はしてはみるものの、その矢先、若くして認知症が進行し、やがてお金の意味すら判らなくなり、一生をかけて貯め込んだそのお金で施設のお世話になっています、みたいな人生もある。ジョンやジョージのように、20代で名を上げ、富を手に入れたにもかかわらず、若くしてこの世を去る人もいる。彼らに比べるとそれほどの音楽的評価はないけど(実はあるのですけど、彼らに比べると、という意味でね)、絶対的な看板曲を1曲引っ提げて、いくつになっても飛び入り感覚で、“With a little help from my friends”を披露しては、ちゃっかり稼いじゃうリンゴみたいな人生と、人間、どちらの生き方が幸せなのだろうと考えてしまう。
若い時、ボクの目の前に颯爽と現れ、オレンジ色の暖簾の向こうに消えていった、牛丼チェーン店のアルバイターが、今何をしているのか判らないけど、きっと今もどこかで大きな夢を模索し続けながら、でも何か大きな壁にぶち当たる度に、また牛丼屋に復帰しては、見事に人生を立て直し、手際よく適量の具を丼に注いでいてくれていたらいいなと思う。『自分、ほんまにやる気あるなら、清掃の仕事、全部教えたるで。この仕事な、簡単そうに見えて、誰にでもできる仕事ちゃうねん。一度覚えたら、食いっぱぐれないねんで』そう言って、ボクを熱心にスカウトしてくれたおっちゃんは、多分もうこの世の中にはいないだろうけど、きっとこの世を離れる最後の最後まで、床にこびりついたガムを秘密の溶剤とヘラで上手に取り除いては、ニヒルな笑顔を浮かべ、淡々と自分らしく生きていたのだと思う。そう考えると、ビートルズのメンバーの中で、リンゴ的な生き方も悪くないな~と思ったりもする。では、今日の結論は、『リンゴ的生き方の極意』にしようと、思ったのも束の間、いやいや、もう一人、凄い奴がいることに気が付いた。若い頃から名声、富、芸術的評価、これら全てを手に入れ、結局のところ、残った二人の内、一人で『ビートルズ』をかっさらって行った男。そうポールマッカートニーの人生こそが、我らが理想とする生き方なのではないか、なんて思ってしまう。リンゴを持ち上げる筈の今回の書き込み、結局最後は、全部ポールに持っていかれてしまいました。と言うことで、『誰もポール様には敵わない』の巻。終了!
3拍子に編曲してみました、Beatlooseの“With a little help from my friends”です。どうぞお楽しみくださいませ。


