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音楽的情景のディアリオ

ボク、一条光一が、音楽にまつわる四方山話をつづるダイヤリー。
一日の終わり、ボクと一緒に今日という日を振り返ってみませんか。

「幸せの種」、若ちゃんのイラストに感化されたアルバム。

そして、「Independence Day」

 

 

若ちゃんが、梅田のギャラリーで個展を開くと聞いて、確か、最終日に伺ったのを覚えています。「どんなイラスト、描くのだろ~」と、興味はあったのですが、当時、若ちゃんは、点描による細密画をメインに描いていて、「一枚の絵を仕上げるために、ペン先を何回何回も、画用紙に叩きつけるのって、凄い作業だな」と、そのとてつもない地道な作業には頭の下がる思いでしたが、絵のタッチとしては、正直言うと、ボクの好みではなかったのです。最終日だったこともあって、大半の物はすでに売約済みの札が貼られていて(ボク以外の人達には、とても評価されていたのです。念のため^^)ちょっと残念な気持ちになっていました。

 

ボクの表情を察したのか、たまたま会場に持ち込んでいた、昔描いたという、鉛筆だけで描かれた抽象画を見せてもらった瞬間に、ボクのイマジネーションは銀河系を越えて、瞬く間に宇宙を一回りし、周回軌道を外れることなく、上手く地球に戻って来たところ、運よくギャラリーの軒先にある暖簾の竿に引っかかったのを押さえ込んで、事なきを得たという出来事がありました。その場で、購入を直談判。「学生時代の思い出の作品で、売り物じゃないよ!」と当初は渋っていたのですが、ボクの粘り勝ちでなんとか譲っていただきました。早速、アルバム「幸せの種」のジャケットに使わせていただいたのですが、それは、よく有名ミュージシャンがインタビューとかで語っている、「この曲は、ホニャララにインスパイアされて、できちゃいました」的なコメントのような華やかな世界のものではなく、ボク如きの極めてこじんまりした、周囲2メートル半径くらいの範囲での出来事ですから、インスパイアみたいなかっちょいい話でもなく、「この絵、おもろいやん!」程度のものですけど、ボクの想像力が、銀河系を飛び越えるくらい、この絵に影響を受けたのは間違いなく、それくらい素晴らしい絵だな、と今でも思っています。

 

若ちゃんは、ほんとに多彩な人で、イラストなどアートの他、ヨガのインストラクターもされています。今はちょっと田舎の古民家を拠点に、いろいろな活動を行っているそうで、まだまだやりたいことがいっぱいあって、可能性は無限に広がっている。そんな感じです。 

 

アルバムタイトル曲、「幸せの種」と同時期に作った曲、「Independence Day」です。

 

 

 

 

久川君とはボクの職場で出会いました。交通事故で大けがをされ、今はリハビリに頑張っています。彼の障がい者手帳に貼ってある顔写真は、ボクが知らない、事故の前のもの。ちょっと茶髪のやんちゃな顔がそこにあります。

 

“人生、一瞬先は闇”と言います。“昨日や今日と同じ日常が、明日も明後日も、約束事のようにまたやって来る”と、誰もがそう思って暮らしているけれど、人生は一瞬の出来事で、いとも簡単に激変してしまいます。

 

いつ起こるか判らない、“大きな出来事”に備えて、用心深く生きていくのも、一つの生き方かもしれませんが、ボクには、一瞬一瞬を悔いのないよう、今を精一杯生きていくことの方が合っているかもしれないなぁ、と思ったりします。

 

ある障がい者就労施設の方が教えてくれました。「障がい者が仕事をすると言う事は、残された機能を使って、最大限に自分自身を活かすと言う事」だと。生きると言うことも、同じ。残された機能を使って、精一杯に生きて行く事がその人に課せられた人生なのです。

 

だから、ボクは、手を抜くことを止めました。一瞬たりとも、手は抜いちゃいかんのです。自分の持てる力を全開にして、まあ、ボクの力なんて、ほんと大したものじゃないけど、それは百も承知で、いつでも顔には満面の笑顔を浮かべ、ひたすら前に向かって、全力で生きて行こうと決めました。日向に居ようと、日陰に居ようと。おカネになろうが、なりまいが。苦労も一杯かけちゃうけど、でもそんな事よりも、もっともっと大切なことが、この世の中にはきっとあるんだよ。それを、キミはボクに教えてくれました。言葉で伝えることができないから、手を握って、ボクに伝えてくれたよね。そしてボクは、キミが伝えてくれたその気持ちを歌にしようと思いました。その曲が、「Little Heart」。久川君と作った曲。ボクの大切な曲です。

 

その時期に作った曲、「Life must go on」です^^V

 

 

 

 

この詩、「いること」は、ボクの友人の星野博さんが、自身の詩集に書かれたものをボクが気に入り、メロディをつけさせていただいた曲です。星野さんとの出会いは、ボクがまだ東京で暮らしていた頃、学生時代の夢を捨てきれず、当時お世話になっていた事務所からあちこちの撮影現場でエキストラや時に役者さんまがいの仕事をさせていただいていた頃、現場で知り合った仲間の一人です。当時は、映画やTVドラマ、CM、PVなど、ありとあらゆる撮影現場の仕事をこなしていました。多い時で、月の2/3は、都内各所、局スタジオ、撮影所、ロケ現場にいたような気がします。現場での立ち位置はあくまでもエキストラだったり、台詞もない端役ですから、それはそれは気苦労も絶えない日々でしたが、今では、あの時、あの場所で体験した全てのことが、ボクの宝物になっています。ではどんな素敵な体験をしたのかというと、この辺り、詳しく書くと、あちこちにご迷惑をお掛けしてしまいそうなので、割愛させていただきます^^:

 

撮影関係の仕事と言うのは、撮影それ自体は、リハから本番まで入れても、大して時間はかからなかったりするもので、ではそれ以外の時間、何をしているかと言うと、実は何もしていなくて、兎にも角にも、待機。よく言われていたのが、ボクらのような底辺の人間が(あっ、言っちゃった><)求められているのは、芝居の中身なんかじゃなく、ただひたすら待つことだったりします。では、どのような状況で待たされ続けるかというと・・・そんなこと、書ける訳ないので、これも割愛します^^V。でも、この時間が実はボクには、まさにプライスレスなひと時でした。芸能界の端っこのさらにその隅っこで、同じように夢の虜になってしまった仲間がいて、同じ時間を共有し、共に辛酸を味わい、傷をなめ合いながら、傷をほじくり合いながら、その現場が過酷であるほど、その作品は、ボクの中でまた一つのレジェンドになって行く。傍から見ると、マゾヒズムの極致のような日々ですが、否定はしません^^: 夢の一欠片を手にするために、サディズムの女王に魂を売り渡す、まさにそんな感じです。

 

現場には大抵一人、場持ちの良い奴がいて、“控室だけ超売れっ子MC”バリのトークで待機時間を見事に廻しちゃったりするのですが、現場でADさんに芝居をつけられながら叱られたりする姿を見て大笑いしたり、ある人の噂話が噂話を呼んで、終いには伝言ゲームのように、とんでもないことが真実になっていたり・・・。そんな日々が、10代の青春時代の頃のように、とにかく楽しかった。先の見えない暗闇の中、「自分も煌びやかな幻想を作り出している一人なんだよ」と自負しながらも、実は僕の手など届かない、ずっと上の方で全てが動いていて、改めて自分のちっぽけさを思い知らされる、そんな毎日でしたが、それでもへこたれず、健気に自分の役割を淡々とこなす仲間たちがいて、彼らの顔を一人一人思い浮かべながら、今も現場にいるのかな、別の生活をしているのかな、など思いを馳せています。当時は、現場を離れていく奴がいると夢に敗北した落人のように思っていましたが、今になってみると、夢の呪縛に打ち勝った、勝者だったような気がしてなりません。撮りが深夜に及んで、帰りがけにいただいた、マイセンのカツサンド、嬉しさのあまり、立ち眩みがしたのを今でも覚えています。

 

星野さん、あなたはあの頃、大きな交通事故に遭い、生死をさまよった後、それらを克服し、「エキストラが足を引きずっていたら、おかしいよね。でも、足を引きずって歩く人が街に居たって、それはそれで不自然じゃないから、やっちゃう?」と言いながら、また現場に復帰されました。その後、自身の詩集を何冊も書き上げ、生きていることの意味を自分自身に問いかけて続ける星野さんの人生には、恐らく一点の曇りもないのだろうと思っています。強さとは、敵をぶちのめす腕力ではなく、弱い自分自身とちゃんと向き合うことのできる心の力なのだと言うことを知りました。また、お会いできる日を楽しみにしています。それまで、Good bye!

 

当時を思い出して作った、「エキストラ」もアップします。

「エキストラ」 一条光一 (作詞・作曲/一条光一) YouTube