音楽的情景のディアリオ

音楽的情景のディアリオ

ボク、一条光一が、音楽にまつわる四方山話をつづるダイヤリー。
一日の終わり、ボクと一緒に今日という日を振り返ってみませんか。

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「Mr. Misery」、T. アラキさんと作った曲。

そして、「ピングィーノ」。

 

 

 

 

ボクが今まで、曲作りでお世話になった方々に感謝を伝えるシリーズは、今回で最後です。最後に選んだのは、40年来の友人のT.アラキさんです。

 

T.アラキさんとの出会いは、ボクが大学の2年生の時、20歳の時に遡ります。神戸三宮の市役所辺りで、長井組の撮影をしている時に(「宏一と金五郎」の街頭ロケ)、「新入生のアラキといいます。現場を見に来ました」と、突然現れたのが、アラキさんでした。一学年下でしたが、年齢は同じなので、「別に敬語は、いらんし」と言ったのを覚えています。その後も、共に三枝組の作品に参加したり、彼の監督作品にも2本、出していただいたり、それらのことは、今でも良い思い出になっています。卒業後は、CM制作の現場で活躍されましたので、作品名を上げれば、「あのCMも、へー。あれもそうなんだ~」となるのは間違いない経歴をお持ちです。

 

映画の他には、音楽にも造詣が深く、それもロックに関しては、幅広い知識を持っていて、ロックアナリストの肩書もある多彩な人です。ボクのPCには、“CDが完成すると、ホヤホヤをお送りする方々のリスト”が有って、その上位にある人ですので、出来る度、一番に発送するのですが、当時はなかなか忙しくされていて、毎回、聴いてもらうまでに結構な時間を要します。さらにそこからコメントをもらう頃には、すでに次のアルバム制作に取り掛かっている、くらいの時間経過がありました。タイムラグはあれども、コメントをいただけるのは、とても嬉しいものです。但し、良い評価を頂いた記憶はあまりなく、彼に認められるのはなかなか大変なことでした。

 

そんな彼から、ショートムービーを作りたい。テーマ曲を作って欲しい。出演もして欲しいと依頼を受けたので、頑張って作った曲が、「Mr. Misery」です。「噂の男」というその作品は、台詞のない音楽PVのような形態で、内容的には、アメリカのミステリーTVシリーズ、「トワイライト・ゾーン」のような、摩訶不思議な出来事が起こるストーリーです。映像技術的には、プロの方々の手が施されていて、さすがだなと思うのですが、如何せん、自分の芝居を観る度に、「ここの表情は、違うなぁ」とか「こうすればよかったなぁ」とか「ほんと、下手っぴだなぁ」と反省しきりで、今でも監督、スタッフの皆さんには、申し訳ない想いで一杯です。

 

そして、最後に。どうかアラキさん、“人生の第4クオーター”を大切にしてください。ボク達に残されたこの時間を有意義に生きてください。そして、今こそ、クリエーターとして、何か形あるものを残していただきたい。この世の中は、まだまだ捨てたもんじゃないです。生きているだけで、丸儲けです。ならば、多少のリスクを掛けてでも、自分にしか書けない、奏でられない、映せない、語れない、表現できない、モノ作りに、もう一度、情熱を燃やしてください。どうか、あなたにしか創れない“作品”を残してください。40年来の友として、切に願います。

 

彼に褒められた数少ない曲、「Mr. Misery~噂の男」、「ピングィーノ」をアップします。

 

「ラララ~ン」、「向日葵」、石川ねずみさんと作った曲。

そして、「Tokyo」。

 

 

 

 

友人のライターさんに紹介していただいた社長さんから、「ある乳製品メーカーの休眠会社を再開させるプロジェクトがあるんだけど、参加してくれないか」と声をかけていただき、それまで勤めていた広告会社を辞める口実にはちょうど良かったので、「面白そうなお話ですね。ぜひ!」と二つ返事で了解し、その後は逃げるようにその広告会社を後にしました。広告会社での5年、その後の13年、併せて18年間、仕事もそれなりに忙しかったので、ボクの音楽活動と言えば、自宅でポロリポロリ♪ ギターを弾くくらいのものでした。

 

その後、自分の会社を立ち上げ、比較的時間に余裕ができた頃、ねずみさんと出会いました。ボクが、学生時代にライブ活動をしていた事、今も曲作りは続けている事を伝えると、「オリジナルのCD、作ればいいのに!」。そうなんです。音楽活動=ライブ活動と勝手に思い込んでいたボクは、まさに目からウロコがポロリでした。

 

ライブをするには、バンドを作らねばなりません。たまたま集まったメンバーそれぞれの音楽的志向など、バラバラなのは当たり前で、そんなところにきて、「このバンドは、おいらのオリジナル曲を演奏するバンド、即ち、おいらによる、おいらのためのバンドにします!」的な宣言を発しようものなら、「コヤツは何たる独裁者!」と後ろ指をさされてしまいます。いや、後ろ指どころではなく、面と向かって、“FU※K  YOU!  GET OUT OF HERE!”となじられます。バンド帝国に君臨するためには、それなりの音楽経験を有するメンバー達を統率する絶対的な才能を持ち合わせていなければならず、そんなもの端から縁のない独裁者モドキの元からは、たちまちメンバー達は離れて行ってしまう事になります。プロの場合は、ギャラをお支払いするという方法で、つなぎ留めておくことができます。アマチュアだって、いい大人が自分の嗜好を度外視して、その独裁者モドキのために貴重な時間を費やすのですから、お手伝いする方も、「まあねぇ、それなりのものを頂かんことには、やってられまへんなぁ」が、本心なのであります。バンド活動って、“皆で心を一つにして、音を奏でて、楽しい時間を分かち合うもの”では無かったのです。ガ~~~ン!>< 「こんな辛い目に合うくらいなら、いっそ他人になど期待せず、全部自分でやっちゃおう」と言うことで、多くの方々に数々のご迷惑をお掛けしたことに謝罪もしながらm(__)m、ボク自身による、ボク自身のための孤独な音楽活動がスタートしたわけです。そんなOnly Lonelyな状況にあって、いつもボクに伴走してくれていたのが、ねずみさんでした。ねずみさんのお陰で、取り敢えず人に聴かせられるくらいのレベルになったのは紛れもない事実であります。

 

初めて作った、アルバム「等身大」から数枚までは、ジャケットデザインからCD制作まで、全てねずみさんが買って出てくれました。ありがとうございました。最初に完成した曲、「向日葵」。そして、「ラララ~ン」、「Tokyo」をアップします。

 

今ボクは、あの時のボクの未来にいます。こんな感じで毎日を生きています。それなりに幸せな日々を送っています。今を懸命に生きることだけは、いつも忘れずにいようと思っています。そして、ねずみさんへの感謝の気持ちも忘れることはありません。ボクの音楽の旅は、もう少し続きそうです。ありがとう!

 

「等身大」のジャケットに使わせていただいた画像は、学生時代に共に映画を製作し、その後はCMの世界で活躍された山本監督の映画、「Shoes」に出演させていただいた時のワンシーンのスチールです。確か、撮影は永代橋で、夜の撮影でした。“ギタリスト亡霊”の役なのですが、参加させていただけたことにとても感謝しています。アっ! これって、許可いただいてましたっけ。画像使用、もしかして無許可? だったら、ごめんなさい(^_-)-☆

 

「幸せの種」「2045」、的野さんと作った曲。

そして「金木犀」。

 

 

楽曲「幸せの種」については、学生時代、同じバンドでお世話になった的野先輩に、アレンジ、ベース、ギター、コーラス、ミキシング、トラックダウン、ほとんどの作業をお願いし、結果、素敵な曲が出来上がりました。今まで、何でもかんでも自分一人でやっていましたが、人に託す、ということも必要だな、と痛感しました。

 

「2045」では、的野さんにベースを弾いていただきました。ボクは、昔からビートルズが大好きで、「レディ・マドンナ」やポール・マッカートニー&ウイングスの「1985年」のような曲を作りたいなあと思っていたのがきっかけで、この「2045」を作りました。最初は、いつも通り、全部自分でやろうと思ったのですが、ベースだけでも的野さんに弾いてもらおうと、ベースパートのみ空けて、託しました。その理由は、的野さんは、ポール・マッカートニーが滅茶苦茶好きな人で、ポールには頼めませんけど、的野さんなら、きっとポール風に弾いてくれるだろうと思ったからです。その狙いは、見事に当たりました。

 

的野先輩は、ボクより確か3学年上だったように思います。同じ学校の友達から、「俺のバイト先の人で、バンドのメンバー、探している人がおるんやけど、その人の連絡先、これやから」と、ボクの返事などお構いなしに、会うことはすでに決定事項だったようで、「その人な、世界史の教科書に載ってる“デューラー”みたいな顔した人やから、すぐ判るで」と。その時は、どこのバンドにも参加していなかったので、確かにバンドもやりたいけど、知らない人にいきなり会って、面接みたいのとかって、どうなんだろと、最初は気が進まなかったのです。と言うのも、その1か月ほど前に、近所の楽器屋さんの壁に貼ってあった“ボーカリスト募集”に連絡してみたところ、いきなりスタジオに呼ばれて、メンバー3人の目の前で、「なんかさ、1曲、やっちゃってみてくれない」とか、「そんなバラードさ、うち等には合わないから、もっとハードでヘビーなやつ、やっちゃってみてよ」とか、「もっとテンション、上げてやっちゃってみて!」とか散々言われて、言う方も言う方だけど、言われたまま素直に応じちゃってみた自分が悲しくて、もう一生、楽器屋さんのメンバー募集には応募しない、と心に誓っていたのです。今回は、友達の紹介だったので、言われるままに応じたのですが、初対面の時に、ギタリストのデューラーと同席してたのが、ベーシストの的野さんで、その時から、的野さんが卒業されるまでの1年間、一緒にバンドをやらせていただきました。現在でも地元でバンド活動を続けているので、時折、大阪にやって来る度に、ボクを飛び入り参加型のライブハウスに誘ってくれるのですが、久しく人前で演奏などしていないスタジオ専門の引き籠り系ミュージシャンのボクは、いつも尻込みしてしまい、何か理由をつけてはお断りしているので、本当に申し訳ないと思っています。また、一緒に演奏できる日を楽しみにしています。これに懲りずに、また声をかけてください。そして、曲作りの方も、またやりましょう。

 

人工知能が人間の知能を越え、地球が大きな変化を迎えることになる概念、“シンギュラリティ”をモチーフにした曲、「2045」。1995年1月17日に起こった阪神淡路の震災で、ものの見事に消えてしまった、ボクの脳裏の中に存在する我が故郷、“芦屋”を当時住んでいた東京からイメージして作った曲、「金木犀」の2曲をアップします。