「南無阿弥家康」気になりました。

こちらの記事は先週書かれたタイトル。

こちらが昨日変更されたタイトル。

気づけば南無阿弥陀仏と写経している殿。

「南無阿弥家康」とし完成。


――ところで、家康は「南無阿弥陀仏」と日課念仏を行い(第46回)、そのなかに「南無阿弥家康」と書いたものが残っているようですが(*偽物説もあり)、どういう気持ちで書いたと思いますか。(追記:第47回では「南無阿弥家康」と書いた)

古沢「実際、そう書いたものが残っているのですが、どういう気持ちだったんでしょうね。仏の代わりに自分の名前を書くわけだからなあ……。実在の家康の気持ちはわかりませんが、ドラマの家康は、乱世の亡霊たちが、自分と共に成仏してほしいという気持ちで書いたと思っています」

46話を見た後と47話を見た後に読むとでは重さが違う。

自分と共に成仏してほしいという気持ちで書いた南無阿弥陀仏。

殿の悲痛な思いが伝わる。

教科書の中の徳川家康だったけれど、徳川家康という人物像により近い描き方をしてるのではと、他に徳川家康を題材にした作品を見たわけじゃないけど…

 「…古沢さんは人の死の瞬間や別れの場面の心や身体の痛みみたいなものを直接的に描かず、それよりも、その人物が生きて、一番輝いて、一番魅力的に見える瞬間を描きたいと思っている気がします。そこが古沢さんらしいというか彼のこだわりだと感じたので、脚本づくりのうえで、なるべく、彼のこだわりや思いが引き立つようなストーリーを構築していきました」

… 現代の眼差しを取り入れながらも、魅力的に見える瞬間を描いてくださり、古沢さんの徳川家康を見ることができて良かった。

悲しみと苦労の連続の中に天下泰平があったと。

単なるタヌキではない…弱い自分から強い自分へ。

その主演に潤くんを抜擢してくださって、本当にありがとうございました気づき