「南無阿弥家康」気になりました。
家康はなぜ「南無阿弥陀仏」と日課念仏を行ったのか 「どうする家康」古沢良太に聞いた#Yahooニュースhttps://t.co/n55PdnvzgZ
— 木俣冬 (@kamitonami) 2023年12月3日
インタビュー後編です
こちらの記事は先週書かれたタイトル。
家康はなぜ「南無阿弥家康」と書いたのか 「どうする家康」古沢良太に聞いた(木俣冬)#Yahooニュースhttps://t.co/n55PdnvzgZ
— 木俣冬 (@kamitonami) 2023年12月10日
今週は「南無阿弥家康」と書いたので、見出し変えました。改めて意味を噛み締めてみたい
こちらが昨日変更されたタイトル。
気づけば南無阿弥陀仏と写経している殿。
「南無阿弥家康」とし完成。
46話を見た後と47話を見た後に読むとでは重さが違う。
自分と共に成仏してほしいという気持ちで書いた南無阿弥陀仏。
殿の悲痛な思いが伝わる。
本日のどうする家康、殿が書かれていた南無阿弥家康。
— 【公式】岡崎でどうする家康 大河ドラマ館を作りたい人達 (@dousuru_okazaki) 2023年12月10日
岡崎の大樹寺で見ることができます。
レプリカですが…本物は大切に保管されています。#どうする家康#南無阿弥家康#岡崎 #大樹寺 #大河ドラマ館 pic.twitter.com/n0TPpdDX6G
教科書の中の徳川家康だったけれど、徳川家康という人物像により近い描き方をしてるのではと、他に徳川家康を題材にした作品を見たわけじゃないけど…
家康が批評的なキャラクターになったわけ 「どうする家康」制作統括・磯智明の眼差し(木俣冬)#Yahooニュースhttps://t.co/wmx6lgXbI1
— 木俣冬 (@kamitonami) 2023年12月10日
見出し変更しました。記事では、どうする家康では死を見せ場にしないことについて語られています。
第47回では→
「…古沢さんは人の死の瞬間や別れの場面の心や身体の痛みみたいなものを直接的に描かず、それよりも、その人物が生きて、一番輝いて、一番魅力的に見える瞬間を描きたいと思っている気がします。そこが古沢さんらしいというか彼のこだわりだと感じたので、脚本づくりのうえで、なるべく、彼のこだわりや思いが引き立つようなストーリーを構築していきました」
… 現代の眼差しを取り入れながらも、魅力的に見える瞬間を描いてくださり、古沢さんの徳川家康を見ることができて良かった。
悲しみと苦労の連続の中に天下泰平があったと。
単なるタヌキではない…弱い自分から強い自分へ。
その主演に潤くんを抜擢してくださって、本当にありがとうございました