卵子は精子に最も近い存在 | 〜FTMだけど子供を授かりたい〜光太郎のブログ

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自身の生殖子の凍結保存、AID等の方法で子供を授かることを考えているFTM(♀→♂)です。子供を授かりたいFTMとして、情報発信や交流をしていきたいです。初めましての方も、性同一性障害当事者でも全然関係なく訪れた方でもお気軽にコメント等いただけたらうれしいです。

女性→男性の性同一性障害の自分。

男性器がないことは、ずっとコンプレックスだった。
それを解消するのはSRS(性別適合手術)なのかな、と思いつつも、
なんだかモヤモヤする。

このモヤモヤはなんだろうと。

男性器がない不全感をこんなに抱えているのに、
どうしてSRSに踏み切れないんだろう、と。

それは、つまるところ、自分にとっては男性器というのは、
泌尿器であること以上に、挿入によるセックスができるということ以上に、
何よりも生殖器であるという認識が強いからだ。

少なくとも現状のSRSでは、男性としての生殖機能を有する
男性器を作ることはできない。
睾丸として入っているのは、精子を作る機能を有するには程遠い、
シリコンボールにすぎないのだ。

精子が作れない。
SRSしたところで、どうやっても精子が作れない。
どうやってもその不全感は埋まらない。
苦しくて苦しくて、誰にも言えないくらい絶望して。
つい最近までは、そう思っていた。

けれども、そもそも精子とはなんだろうか。
自分の遺伝情報を引き継いだ、子供の設計図である。

自分の遺伝子を引き継いだ子供の設計図、
どうやっても得られないのか?
いや、考えてみれば、卵子だって、
自分の遺伝子を引き継いだ子供の設計図が内包されているではないか。

今まで、卵子というのは精子と真逆の存在だと思っている節があった。
多分、そう思っている人は多いような気がする。
自身も長年そう思っていたし、卵子および卵巣を酷く嫌に思っていた時期があった。

でも違う。卵子は形状こそ違うものの、
機能という面で考えれば、もっとも自身の精子に近い存在なのだ。

AIDで提供される他人の精子は、オタマジャクシのような姿形という意味では
確かに自分が持っていたかった自身の精子に近いかもしれない。

でも、それはオタマジャクシの形をしているというだけで、
自分の遺伝子を引き継いだ子供の設計図ではない。

精子というのを形状ではなく機能という点で捉えたら、
自分の卵子の方が、自身の遺伝情報を子供に引き継ぐという観点で、
提供された他人の精子よりは自分の精子に近い存在であるはずなのだ。

そう思ったとき、脳裏にこんなイメージが湧いた。



精子も卵子も、自身のDNAを持っている生殖子だ。
自分の身体には、精子にほぼ近い存在である生殖子が
すでに備わっていたのだ。

卵子は精子の真逆の存在なんかではない。
シリコンボールの中に入っている物質なんかよりも、
はるかに精子に近い存在、それが卵子だ。

そのうえ、精子にほぼ近い存在であるところのDNAにプラスして、
子供本体がその精子に近い存在を覆っている。

精子的な何か、プラス子供本体、というのが卵子だったのだ。

少なくとも機能面においては精子に酷似したものを持っているうえ、
子供本体までついてくる。正真正銘の精子はなくとも、代わりに
そんな卵子があるというのは、なんとも有り難い話ではないか。

精子と卵子の形状の違いだって、受精してしまえば
精子の形は跡形もなく消えてしまい、
生物学的男性にとっても受精卵は「おれの子供」なわけで、
「おれの子供も昔は卵子だった」となるわけで。

そして子供が人間の形になり、オギャーと産まれてくる頃には、
卵の形が残っているわけでもおたまじゃくしの形が残っているわけでも
なんでもない。そんな形は跡形も残っていないし、
未受精の段階のときですら、顕微鏡でしか見えないような代物なのだ。

むしろ産まれた子供に一生残るのは、
見た目にしても性格等にしても、親の遺伝子を受け継いだ面影なのである。

「自分を男だと思ってるのに、自身の卵子で子供を作りたい?」
 それって女じゃん」だの
「FTMじゃないんじゃないの」だの
そんな感覚、持つ人は数多くいるのかもしれない。

でも、このブログを読んで、
たとえ卵子を使おうとも、あくまでも男として、
精子に最も近い存在を使うことで
子供を持ちたいのだと言うことが
そういう人たちにも伝えられたのだとしたら、幸いに思う。