GWですね!!

4月から新しい環境になり、そろそろ心身に疲れが出始め流頃なので、体調管理には気をつけたいところです。最近は忙しすぎて陸上の練習もほとんどできませんでした。

なんですが、先週記録会に出てきました。

100m  12”28(+1.0)

........遅い。ガーン

ですが、言い訳を少しさせて下さい笑

①今年は受験勉強をしていたため冬季練がほとんどできていなかったこと。

②人数の関係で自分一人でのレースになってしまったこと。

特に②のような状況は人生初めてでしたね。。

いやー、恥ずかしかった笑

でも良い経験になりました。次回のレースでは11"9を出します!

 

 

さて、前回は高校2年生の夏頃までのお話をしたと思いますが、今回はその続きを。

高2の時点で自律神経失調症のような症状(冷や汗、頭痛、吐き気)が朝練の前に現れるようになり、僕の身体は心身ともに競技を続けるには限界に来ていました。

おまけに、夏休みの合宿では、朝5時起きで1000mのタイムトライアル、100mを30本も走らされるは、頭を殴られるはでもう最悪でした。

まぁ、当たり前なんですけど、どんどん体調は悪くなるし、記録も落ちていきます。

顧問には体調のこと、薬を飲んでいることは説明しましたが、全く理解はしてもらえませんでした。

そして夏休みが終わる頃、一つの決断をしました。

『次の記録会で自己ベストが出なかったら、陸上をやめる』ということです。

自己ベストなんて出ないことは分かりきっていました。

競技をやめること、諦めることに、正当な理由をつけたかったんでしょう。

当たり前ですが、本番の記録会ではベストは出ませんでした。

家に帰っらから、悔しくて、悔しくて、部屋のものを全てベランダに投げました。

全国、関東出場時のユニフォームやメダル。全部ぐちゃぐちゃにしました。

 

そして、次の日から部活に行かなくなります。

顧問に退部の意思を伝えに行きました。

そのとき言われたことは今も鮮明に覚えています。

「お前は、そんなんだからダメなんだ、ベストが出ないんだ」

「お前以外は全員記録が出ている」

「記録が出ないのは、俺のせいにするのか?」

「体調が悪いのなんて、知ったことではない」

 

あぁ、やっぱりこの人はそういう人なんだな。そこでやっと、諦めがつきました。

自分は今まで、このチームをよくしようと、家族に良い結果を報告できるように頑張ろうと必死で取り組んできました。

結果は散々でした。要するに顧問は、部員の結果、そして自分にとって都合が良いかどうかしか見ていなかったのです。

 

そのあとは、授業が始まってからも教室で泣き続けました。

一人で、往復5kmも毎日通学しました。

「なんのために、高校に入ったのだろう」と

 

以上が高校時代の陸上部入部〜退部までのお話です!

 

次回の内容は、

『退部した僕はバンドを結成します、そしてラーメン屋でバイトを始めます。』

 

ではでは