こんにちは。
今日のタイトルは「Track&FIeld」、つまり陸上競技のお話です。
突然ですが、小学生の時って足が速い男の子は人気がありますよね。
自分はそのタイプでした。ですが、ドッジボールがめちゃめちゃ弱かったんです。
つまり、足が速いしか取り柄がなかったんですね、、、笑
時は経ち、僕は中学生になります。そして学区内の中学校にそのまま入学することになるのですが、そこの陸上部が市内では毎年優勝、県でもかなりの結果を出している強豪チームだったのです。
最初に思ったのは、やべーところにきてしまったな
そんな気持ちでした。入部して最初の記録は 14"16 でした。100mです。
市内でも余裕で予選落ちの記録です。
小学校内では一番足が速かった僕ですが、いろんな地域から生徒が集まってくる中学校の世界で、自らの実力の無さを痛感したのです。
そんな感じのスタートだったのですが、先輩のおかげで、県大会のリレーでは表彰台に登らせていただいたり、なんだかんだで、新人戦では市内4位ぐらいまでの成績は残していました。
結果も少しずつ出てきて、中学2年生の時は、リレーで県3位(先輩のおかげ)、200mで県7位。そして部長になりました。
ここまでくると、そろそろ全国大会というものが視野に入ってきます。
入学当初に比べると大躍進ですね。笑
翌年の結果を先に言っておくと、100mでは全国大会には行けませんでした。
全国大会に出場するためには標準記録を切らなければいけないのですが
当時の僕の記録が11"31
当時の参加標準記録が11"30なのです。
惜しい、今思い返しても、勿体なさすぎる結果です。しかも11"31を2回も出しています。本当に惜しいですね
ですが4×100mでは県代表として関東大会、全国大会に出場し、それぞれ2位、5位という結果でした。
まぁ、個人はダメだったけど結果的に良かったかなという感じです。
リレーで好成績を残した僕はここら辺から調子に乗り始め、「高校ではインターハイに個人で絶対でる!!」という目標を掲げ
勢いそのままに、陸上の成績で公立高校に入学しました。全てがうまくいくと当時は思っていました。
ですがこの高校での出来事がその後の運命を大きく変えてしまいます。
当時、高校に入学し、チームの練習に参加していたのですが、「このチーム何か雰囲気が良くない、様子がおかしい」
とすぐに気づきました。でも、顧問の先生は怖くないし、何がこの、変な感じの理由なんだろうと思いました。
その後、僕は気づいたのです。昨年度いた、速い記録を持っていた先輩が二人ともいないと、そして、そのことを先輩に尋ねると
なんと、その二人は退部していました。
どうして?っていう感じでした。その後すぐに僕は、先輩にお願いしてその二人に話を聞きにいきました。
(すごい行動力ですね、我ながら笑)
辞めた二人はというと、アルバイトをしたり、バンドをしたりしていましたが、なんだか、こうやるせない、そんな表情をしていたと思います。
どうして、退部してしまったのか。その答えは顧問からのいわゆるパワハラというやつです。
そして、その一年後に自分もパワハラのターゲットとなり、自律神経失調症、うつ病を発症し退部することになります。
正直、この出来事とちゃんと向き合えるようになるまで、9年ほど時間がかかりました。今はこうやってブログとして、書くことができていますが、以前は思い出すだけで呼吸が苦しくなってしまったり、涙が止まらなくなってしまった時期もありました。
ただ、もし同じような経験をして悩んだり苦しんだりしている人がいたなら、そういったトラウマやPTSDに近いような経験を払拭するには、とても多くの労力、時間がかかるかもしれませんが、いつか、必ず前に進める日がくると、そう伝えたいです。
話は戻りますが、高校に入学してから僕の記録は全く振るいませんでした。個人では、県大会に出場することさえも厳しく、出場できたとして予選落ち程度のものです。自分の中学時代の記録を知る先輩や友人からは、いろんなことを言われました、「お前の評判悪いよ」とか
そして、そこに追い討ちをかけるように、父親がストレスによる飲酒のしすぎで、アルコール中毒になりぶっ倒れます。
当時の家庭の雰囲気は最悪なんてもんじゃあ、ありませんでした。
だからこそ、当時の僕は「自分が結果を出すことで、家族を笑顔にしてあげたい」そう思うわけですね。
しかし、低迷する記録に、顧問はブチギレます。大会後は毎回、「だから、お前はダメなんだ」と毎回言われていました。
僕はそんな顧問が大嫌いでした。自分を棚に上げて、他の顧問の先生の悪口を言ったり、記録が出ない先輩に容赦がない暴言、そして全く進歩のない昭和の練習メニュー。
そんな僕の態度が気に入らなかったのでしょう。
合宿のときは、いきなり殴られたり。どんどん、顧問の言葉の暴力はエスカレートしていき、ついに僕の心と身体は限界を迎えました。
朝起きると、頭痛と吐き気が止まりません、冷や汗もとまらなくなました。そんな日が続き、心療内科へ行きました。
そこからは、とにかくもう身体が全く動きませんでした。走ることを楽しいとも思いませんでした。
そして僕は、大好きだった陸上を辞めるということを考え始めます。そんな高2の夏。