平成進化論を読んで、
メルマガの中に日々の記録をブログなりに書き残すことの重要性が説かれています。
確かに確かにとメルマガを購読しもう6年ほどになると思いますが、
なるほどと思いつつ、なかなか行動に移すことができていませんでした。
今まで、書いた方が良いと頭で分かっていても、
なかなか書くことがないから書いてもすぐにやめるだろうとか、
と言い訳を見つけ、一歩を踏み出せずにいましたが、
今回のメルマガを読んで、
----<以下抜粋>------
■私はこれまで、
日記は20年以上、
友人知人向けメルマガを11年間、
(このメルマガの前身となります)
平成進化論創刊から数えても9年間、
一日も休まず、文章を書き続けてきました。
■そこで感じたのは、
「人間が一日で成せること、学べることは
まったくもって大したことはない」
ということでした。
特に文章を書くことを習慣化し始めた
初期の頃は
一日を終え、その日の出来事を振り返り、その日に
行ったこと、身についたことについて、
いざ書こうと思っても
「記録に値することは
何一つとしてなかった」
と苦しむことが多々ありました。
■そうやって、ほとんど
「無から有を生み出す」
苦悩を味わいつつ、知らされたことは
「24時間生きて、書き出せることがほとんどない」
という悲しくも厳粛な事実でした。
■その日一日、確かに生きたはずなのに、
何にも書き出すことがない。
「何もやっていなかったのか」
あるいは
「やったことが自分の中で咀嚼されていない、
総括されていない(=学びになっていない)」
ということなのか。
いずれにせよ、それはとっても恐ろしいこと。
この繰り返しが自分の一生を決めていくのですから。
■そういったことに目が向くようになったのは、
実にこの
「一日も休まず、文章を書く」
という習慣からだったのです。
■この習慣は
「見たくない現実を無理やり直視させてくれる」
一つのシステムとなり、
「自らのありのままの姿を気付かせられることで
反省、向上の気持ちが生まれる」
ことにつながっていきました。
---------<抜粋ここまで>-------------
特にこのくだりに考えさせられました。
『その日一日、確かに生きたはずなのに、
何にも書き出すことがない。
「何もやっていなかったのか」
あるいは
「やったことが自分の中で咀嚼されていない、
総括されていない(=学びになっていない)」
ということなのか。
いずれにせよ、それはとっても恐ろしいこと。
この繰り返しが自分の一生を決めていくのですから。』
日々生活のため、日常を過ごしています。
しかし、それは何もしなかったらただ生きているだけ、
同じことの繰り返し、成長のない日々になっていないかどうか。
確かに毎日同じルーチンワークで良いという人もいるでしょう。
しかし、俺はそれでいいのか?満足なのか?
このままでいいのか?
その一歩としてブログを書くことで何か変わるのなら、
やってみるのも、というかやってみようかという気になってきました。
というわけで、日々の生活の中から、
最初は苦しいでしょうが、
一日の振り返りを行い、日々の行動したこと身に着けたことをつらつらと書き綴りたいと思っています。
とりあえず、自己宣言!?ということで。