東京では、3日連続で計画停電を実行しないそうです。
暖かくなってきて、暖房を使わなくなってきたというのもあるんでしょうが、やっぱり皆さん相当に節電に協力的なんだと思います。
いや、私も協力していますよ。
換気扇の下でのみ喫煙OKな場所でも、換気扇は回さず外に出てタバコを吸ってます。
タバコ吸わなきゃいいじゃんって言わないで下さいね。
しか~し!
相変わらずポインターシスターズにハマってまして、どうしても調べたいことがあったものですから、パソコンの電源を入れてしまいました。
別に、マニアだとかオタクだとかっていう程の熱烈なファンではないんです。
ないんですが、以前に書きました「LIVE THE AT OPERAHOUSE」(1974年)というアルバムが非常に素晴らしいにもかかわらず、その後空白の時期があって4人組から3人組に減り曲調も変ってしまったのは何故なのか!
どうして、あのスタイルを続けてくれなかったのかってのが、どうにも悔しくてね、調べてみたんです。
それでは、ここでメンバー紹介をします。
ルース(長女)、アニタ(二女)、ボニ―(三女)、ジューン(四女)
これが、ライブアルバムの時の4人です。
元々は3人だったそうです。
両親のしつけは厳しく、ゴスペル以外は歌うことを禁じられていたそうですが、活発な三女は四女を誘って「ポインターズ」っていう名前でクラブやバーで歌い始めます。
後に二女が、法律事務所を辞めてメンバーに加わります。なんという姉妹でしょう!
この3人でシングル盤を2枚リリースするんですが、バンザイなしよ!(欽ドンって知ってますか?)って感じでコーラスの仕事によって少しずつ実力をつけていきます
で、レコード会社を移籍しまして、長女が加わります。
両親は「ルース!おまえもか」と言ったとか言わなかったとか…。
この4人で2枚のアルバムを出すんですが、これぞ古き良きアメリカって感じでして、この2枚の中から選曲して行ったライブが、その「LIVE AT THE OPERAHOUSE」なんです。
私が中学生くらいの頃の出来事なんですかねぇ。
だから、当時は知りませんでしたよ。
キャロルとディープ・パープル聴いてましたから。
ポインターシスターズを知ったのは1980年代に入ってからです。
MTVってんですか?プロモーションビデオを紹介する番組が流行り始めまして、3人組のポインター姉妹が「SLOW HAND」とか「JUMP」とか「I’M SO EXCITED」なんかを歌ってたんです。
1980年代ってのは、テクノロジーの進化でね(あまり好きな表現ではないんですが)、音楽の録音方法が変り始めた頃です。
わたし的には、その頃を代表する音楽はプリンスなんですが、もちろんマイケル・ジャクソンとかもそうで、いわゆる打ち込みってヤツがどんどん出てきます。
打ち込みったって柔道の練習じゃありません。
人間の演奏が機械に取って代わるアレですよ。
当然、レコードを売るためには(当時はCDじゃなかった気がします)そういうもんにしなきゃダメだったんでしょう。
3人組のポインター姉妹も、その潮流に乗った曲をヒットさせていました。
第2次ブームと呼んでもいいくらい売れました。
そんな時です。
高橋君にレコードを借りたのは。
80年代のポインターもいいんですよ!いいんですけど4人の頃のポインターの方が断然いいんです。
もちろんプロデューサーが違いますから、好みの違いってことになるんでしょうが、いいんです。
まず、抜けた一人が誰かってことなんですけど、三女のボニ―です。
独立志向の強かった彼女は1977年に、突然モータウンレコードと契約してグループを去ります。
って、元々あんたが妹を引き込んで始めたグループじゃないんですか?
あまりに身勝手じゃないですか。
まあ、ネットで浅く調べただけなので断言はできないんですけどね。
で、残された3人はグループ活動を停止します。
二女はソロでレコーディングしたり、長女は出産…って本当にやること無くなっちゃったんですね。
それでも彼女達は復活します。
プロデューサーを代えて…。
結局、ボニ―がね、三女のボニ―が原因っていうか台風の目っていうか、わ~ってさらってっちゃったわけですよ。いろんな事を。
ま、彼女がいなきゃ、あのライブアルバムは生まれなかったわけだし、全ての原因ってのもおかしな言い方なんですけどね。
ただ、4人で続けていたらどうなっていたのかなぁ…って思うわけですよ。
こういう話はよくありますから、しょうがないんですけどね。
調べていて、もう一つ解ったことがあります。
四女のジューンが2006年に癌で亡くなってるんです。
もう再結成はありえません。
他にも兄弟はいるらしいんですが、長兄のアーロンってのが元プロ野球選手で、日本でも西鉄(?)ライオンズでのプレー経験があるそうで…。
ジューンの代わりは無理だし、シスターズにならないですね。
ついでに
1985年のウイ・アー・ザ・ワールドではコーラスで参加。
1996年のアトランタ・オリンピックでは、閉会式で歌を披露したらしい。
日本での人気はそれほどでもなかったかもしれませんが、祖国アメリカではその存在を忘れられない何かがあるんでしょうな。
それで、さっきも書いたんですが、広く浅く調べてましたから(三女ボニ―の情報はほとんど無し)アルバム自体の情報も覗きました。
例のライブアルバムは、レコード・CD共に廃盤のはずですから、もう手に入らないんだろうって思ってたんですが、CDの在庫が1組見つかったんで買ってしまいました。
次世代に残したい音ですから。
って言っても、私も録音時に中学生だったわけで、充分に次世代なんですけどね。
<余談です>
1974年にアフリカで行われた音楽フェスティバルにポインターシスターズは出演しています。
そのビデオテープを持ってるんですよ、私は。
オペラハウスのライブと同年です。
で、山積みされてるビデオの中から捜し出しまして、見たらね、3人なんです。
ボニ―がグループを抜けたのが1977年ってことになってるのに、この時すでに3人なんです。
しかも、新しいアルバムを出しているわけじゃないですから、レパートリーは同じですよ。
やれば出来るんじゃないですか。オペラハウスの再現は…。
バックはオーケストラじゃなくてカルテットでしたけど充分エネルギッシュです。
つくづく残念でなりません。
このビデオには四女のジューンが楽屋でタバコを吸っているシーンが入ってます。
誰か言ってあげればよかったのに。
32年後に死んじゃうよって。
私が言えた義理じゃないですが…
ケンパパでした