大阪大学と東北大学は、対称的です。

 国大の経常収益の3位が阪大、4位が東北大、法学部の偏差値、司法試験合格者数では阪大が、過去5年の科学研究費の件数では東北大が勝っています。

 

 阪大は適塾(緒方洪庵)、東北大は明倫館が沿革で、共に医学校など各種学校を統合しています。

 

 以前、定期的に大阪に通うことがあり、大阪の文化や人情に触れました。街場のうどん店で、店主から「毎度おおきに、何にさせてもらいまひょ?」と言われました。開かれたイメージがあります。

 大阪は、京都、奈良、堺、神戸に囲まれ、都市圏、文化圏の厚みとしては東京に引けを取りません。

 

 私の意見ですが、縄文は狩猟採取と漁労で、豊かな生活になっていたようです。そこに、西から稲作をもつ弥生人が、最初に北陸、次に西日本に移りました。

 その後、大和朝廷が東方に進出し、西の支配となりました。

              

                    
 

 天皇を中心の西に対して、室町以後は、武力の東が徐々に優位になりました。江戸時代は、大阪城に城主はなく(城代だけ)、大阪は幕府直轄地で商業の中心でした。

 西には、貴族の空気、東は実利の気風のようです。

 

 東北、仙台は、広大な大地の武の地域です。

 鎌倉時代の藤原氏は滅ぼされましたが、江戸時代には福島盆地と米沢盆地(山形県の中央)出身の伊達藩が守り通したようです。

 東北大は、昭和30年代に優秀な法学部の教授を集中的に招聘したこともありましたが、文科系の力は発揮されていません。理工系は質実剛健の気風です。

 

 東北は、大自然を背景にした分厚い深みのようです。

 修習のときの経験を含めて、地域性について更に考えてみます。

 

  相続のときに、西の文化圏は民法の決まりのとおりの平等な分割が普通と言われます。

  石川、長野、福島を結ぶ線から北のエリアは、長男を中心として家を守る形が多いと聞いています。実際に東北出身で、大きな会社で監査役を務めたような人と話したときに「家」中心が考え方の基準になっていることが感じられました。

  かなり以前に、富山の知人の実家に遊びに行ったとき、大きな家構えに驚いきましたが、このエリアでは、何代かが協力して一軒の多きな家をつくる風習があると聞いたこともあります。このようなところでは家中心の社会が普通になっているように思われます。

 

  核家族化が全国の流れとすると、家中心の社会は展開が難しいのではないかということは直ぐに考えられます。

  さし当って自分の周囲で問題になることはありませんが、このようなことが頭の片隅にあります。