特に若いころ、「弁護士は玉石混交」とよく言われた。自分でも裁判官と話した後で弁護士と話すと、何かつまらない印象だった。

 

 修習の指導をする弁護士から見ると、修習生は将来の競争相手なので、本当に参考になることは言わないことが後から分かった。

 その20年後、若い弁護士と話す機会があると、そういう失望感のようなものが自分に向けられている。


 若手弁護士から見て、本当に知りたいのは、どんな依頼者や会社を相手に、どんな仕事をしているか、そいう人とはどこで出会ったかというようなことになる。

 

 弁護士の競争関係は、例えば、全国を相手の宝石商と似ていて、日本中の同業者が競争相手になる。


 当たり障りのないことで、私が修習のときによく聞いたのは、「小さな仕事でも一生懸命やっていれば必ず依頼者はついてきます。」、「小さな人間関係を大切にしていれば後につながります。」、「飲み屋で依頼者を探すようじゃ淋しいけどね。」というようなことだった。いろいろな人が同じようなことを言っていた。

 

                         

 

 この他には、「税法とか特許法関係とかの得意分野を身につけるのも大切です。」、「これからは何人かが協力して早めの独立を考える方法もあります。」、「弁護士法人というものはデスネ。」、「怪しい者が近寄ってくるから注意が必要。」というのも定番になっている。
 

 こういうことばかり聞かされていると、弁護士というのは分かり切ったような話題ばかりでちょっと俗物ですねという反発を持たれる。 
 

 かといって、司法研修所のような気の利いた講義をする時間もない。 

 裁判所のように、テーブルに出された問題を法律的に整理していくのと違って、市民生活の中の色々なの問題の渦の中から、法律の水流を見つけ出し、交渉や裁判を経て、最後に清冷な水流を作り出すことは、腹を据えている人にはだいご味になる。
 

 そのために、市民社会や、会社などの人間関係に入り込んで、無駄な時間を過ごす中からずっと続く依頼者と出会うことは本当にある。

 ゆっくりだが手堅い人にも、いつも手際よくて感謝される人にも、必ず活躍の場は待っている。

 裁判や交渉、そして市民生活の中の小さなカギを一つずつ揃えて、大きなカギ束にしましょう。