平成27年までで5回くらい簡易裁判所に行きました。すっかり様変わりしました。

 私が弁護士になった15年以上前の簡裁は、サラ金の取立訴訟がかなりを占めていました。利息制限法は15~20パーセントになっていますが、別に出資法があり、1954年の109.5パーセントから2000年の29.6パーセントまで段階的に引き下げられました。これを超えると刑事罰になります。

 刑事罰が年39パーセント超のときが長かったのですが、これより低く利息制限法以上の利率で払ったときには違法かどうかはっきりしない期間が長くありました。このころに、近郊の駅前の建物を10以上ものサラ金会社の看板が彩っていました。異様な景観でした。

 サラ金会社は年39パーセントで17兆円の貸出残高でした。

 これを、平成16年から18年までの最高裁判決で違法にし、清算する義務を認定しました。これを適用すると、借主に返還される清算金は数兆円になります。財務省の規則と思いますが、弁護士がサラ金会社に問い合わせると、過去の取引経過を回答する義務が課されました。

 サラ金問題の弁護士事務所も多くありました(今は減少)。一般事務所である私の事務所でも最大600万円くらいの返還になったものもありました。

 簡裁の民事事件は140万円以下を扱います。その頃は、かなりの件数がサラ金からの取り立て訴訟でした。簡裁は、弁護士でない社員が代理人になれます。

 このころは、簡裁に行くと、弁護士でない代理人の「あの~、○○という意味でしょうか~」「では検討してまいります。」という発言、裁判官の「まあ、△△のところをご検討下さい。」というようなやり取りが繰り返され、簡裁の法廷はごった返していました。

 最高裁の判決以後、簡裁でも返還請求訴訟が盛んになり、逆にサラ金会社は壊滅状態でした。

 数年でサラ金会社の取立て訴訟は激減しました。このころに、法曹資格者(弁護士登録をする人と登録しないで社員などになる人があります)の数が3倍にも増えました。簡裁の代理人はほとんどが資格者社員のようです。

 簡裁も、地裁と同じの落ち着いた雰囲気になり、法廷の時間も空くほどです。

 

                                     

 

 最高裁がどうして判決したのか分かりませんが、市民生活を大幅に変えました。                  

 地裁の中で、同じように特別な雰囲気のあったところとして、執行官(書記官OBが多い)が仕切る、不動産、動産の強制執行の部がありました。高度成長期の一断面だったのか、会社や自宅に行っての強制執行が日常的でした。
 動産執行で、修習のときにピンクレディのオフィスの代表者だった人のマンションに行ったこともありました。

 弁護士になってからは、賃料の不払いによる建物明渡しで盾を用意した警察官に立ち会ってもらったこともありました。実際に柳刃包丁で抵抗されました。

 そういうときにはいわゆる「執行屋」を業とする人に補助を依頼することになり、執行作業員の日当や一時保管用の倉庫などで100万円にもなるという雰囲気でした。朝の地裁の執行部は、そういう関係者が廊下にずらりとたむろし、普通の人や女性を遠ざけている雰囲気でした。

 そのためか、2003年に、東京の不動産、動産、債権の執行は、新設の目黒区の分室に移動しました。

 ここに行ったのは20回くらいですが、雰囲気は一変しました。

 不動産を郵便で競落し、稼ごうという一般の人が参加することも普通という世界になりました。

 他の道府県でも同じ流れと思います。大きな変動のあったところでした。