ロシアのウクライナ侵攻の1か月半後、プーチンがロシア正教会の総主教に花束を手渡した光景は違和感とともに記憶に残った。

 ネットの情報では、プーチンと総主教は同郷であり、相互補完しながら権力を広めたということのようである。私の違和感は、国の緊張状態の中で、政治のトップと宗教のトップが親しい関係を誇示するような光景を余り目にした記憶がないことが理由になっている。

 最近、福沢諭吉の「文明論の概略」を読み直していると、明治期の福沢は文明の頂点を西欧におき、その下位にアメリカ、ここに向かっている日本、その下にアジアの諸国を置くという段階論になっている。

 そういう中で、西欧と日本を対比し、西欧では革命などもあったが個人が単位の社会になっているのに対して、日本は室町時代も徳川時代も争いは上部の武家社会の中の争乱で、その下の庶民は常にその外にあって、上位社会と下位の農民町民の社会は常に別れた社会になっている・・としている。「上古の時より、治者流と被治者流の二元素に分かれて、権力の偏重を成し、今日も至るまでも、その勢いを変じたることなし」(240頁)と言っている。

 上位の武家のトップを支配者とするピラミットの構造に治まる社会が続いているという。下位の農民町民は、上の武家階級の、更にはその上の領主の支払下にという二重の支配の中で固定されていた歴史になっているという主張になっている。封建社会ということになる。

 福沢諭吉は、中津藩(大分県)の中の下くらいの武家の出身で、儒教をある程度治め、居合抜きの達人で、オランダ医学を学び、英語の先駆けでアメリカに2回、欧州に1回留学した、大柄の偉丈夫だった。江戸時代は幕府の翻訳方に属しており、明治維新では倒幕派ではなかった。

                

 福沢は、当時の国民で文明や知識に触れている者は5%、他の95%は無知文盲の人であると見ている。今から見ても否定しにくいところもあると思われるし(勿論、文明的な人の比率ははるかに増えているが)、現在の世の中でもかなりの現実性はあると考える一方で、無機的なものの見方の虚しさも連想する。

 プーチンと大司教に戻ると、ロシアの場合、福沢のいう一定の個人の独立はあると思われるし、だから優れた芸術家も出ている。しかし、今のロシアでは独立した個人の反対意見は全て封じられている。

 独立した隣国に攻め込むことができるという考えや、反対意見の封じ込めが可能な社会ということにはやはり違和感がある。

 

 また、各国の左派政治勢力を見ても、日本を含むアジアでは大司教的なトップの権威を有利に使おうとする傾向を感じるのに対して、ヨーロッパの左派にはそのような権威主義の無いことに改めて気が付いた。