私には子どもが二人いますが、実際に子どもを産み育てて分かったことがあります。


それは、子どもは、私のものではない、配偶者のものでもない、私と配偶者二人のものでもない、つまり、誰のものでもないということでした。


初めての子を妊娠している時は、自分と配偶者の子どもだ、特別な存在だ、と思っていましたが、産まれてみると、それは「ヒト」でした。


極端な言い方ですが、友達と変わりません。


友達も、ある日までは、知らない人でした。ある日、何らかのきっかけで出会い、友達になります。


子どもは、産むというきっかけで出会った、友達でした。


もちろん、お世話も大変だし、育てることには責任があります。放棄は出来ません。


責任を持って育てることから得る学び、子どもから学ぶことがあるから、子育てを体験する人生になったんだと思います。


子どもを産んだら、子どもを「得た」のではないと思うのです。


子育ては科目のようなもので、数学を選択する人もいれば、数学は選択せず、音楽を選択する人がいるのと同じだと思います。 


顔など遺伝的な要素は確かに似ていますが、魂は別なのです。子どもは私のものでは、ありませんでした。


同時に、自分の親も、私が産まれたということで知り合った人たちです。

親戚もそうです。


やはり、顔は似ていますが。


血縁者といえども、ご縁のあった人であり、友達とそんなに変わらないよなぁ…と思うわけです。


私も子どもが小さい頃は、(自分のために)子どもにこうこうして欲しいとまでは全く思いませんでしたが、「自分の子どもの問題は自分の責任だ」と思いすぎて自分を苦しめていたりしました。


私は、わりと多くの人と会う仕事ですが、ご縁のある人とは初めて会った時、初めて会った気がしません。


逆に、ご縁がなかった人のことは、記憶からなくなったり、すごく薄くなってしまいます。