ツインレイの渦中を抜けた今、私は自分に起こったことをより俯瞰的に考えられるようになってきたようです。
私はツインレイとこの世で生きて出会う人生の人は、とんでもないハンデを背負ってると直感的に感じてきたのですが、今、その話を説明できそうなのでしておきます。
ツインレイにこの世で出会う人というのは、例えば、片親みたいなもので、1人で家族を支えるのに似ています。
ツインレイとこの世で出会わない人の魂も、同じく陰陽の形をしてはいるはずです。
しかし、人間としてこの世に自分と反対の存在が目に見えて現れてはこない。それは、見えない世界(裏側)から支えてもらっているからではないかと思います。
片親ではなく、両親が揃っていて、うまく役割分担して子育てしているようなものです。
反対に、ツインレイに会う人、つまり、この世に2人、人間として存在させるということは、相当に無理のあることで、見えない世界からの支えなしで1人きりで飛び出していくことです。
この世の地獄を見るのもそのせいかと思います。
反対の存在を含む陰陽の魂は、見えない世界に存在する方が断然力があり、今現在、生まれて生きてる人間を支えることが出来ます。
地上の人間にそんな力はありません。
陰陽というからには、片方が生きているなら片方は隠れているのがベストだということです。体も一つで良いのです。
前回のブログで、私の欠点について話したのですが、私は半人前だったからこそ、このような極端な性格をしていたのでは?と思ったんですね。
私は他者の視点や社会通念よりも自分の気持ちを優先する生き方をしてきた、と書きました。
まさしく、「それが、私」なのですが、矛盾するような性質も私の行動の中にはありました。
それは、自己犠牲、自分を無視するということです。生きていれば他人の為に一生懸命何かしなくちゃいけないことが多々あります。そんな時、私は他人ばかりになり、自分を蔑ろにしていました。
バランス良く出来なかったのです。
それが、今はそうではなく、他人の為に何かしながら、自分のことも構うようになったんですよね。1人で食べる自分のためのご飯も、きちんと盛り付ける、身体のケアなどもこれまでにないほど丁寧にしているんです。義務感からではなく自然に楽しく出来ているという不思議…
自分の気持ちに正直で困難をものともせず真っ直ぐ突き進むのが私。そんな私をTさんは「すごい…」と絶句していた。Tさんには私みたいなところは無いんだろう。同時に私は極端という性質も持っているため、自分か他人か、どちらかが(象徴的に)死ぬくらいのことになってしまっていた。
最近、私にあり得ないことが起こりました。料理が楽しくなってきたのです。これまで生きてきて、料理ばかりか食べ物自体にあまり興味がなく、やらなきゃいけないからやっていた料理。何となく、謎だけど人の為に料理することに抵抗があった。私は奴隷じゃない!みたいな気分だろうか?よく分からないのですけどね。
今日も楽しく料理を作りました。
やはり、出会いが大きな転機になっていたことは否定のしようもありません。
ひとつの魂を思い出せば思い出すほど、苦しみは終わっていきます。
ツインレイの2人がどうなるか?そこはまだ私は体験していないので分かりませんが、自分の人生が好転したことは、間違いありません。