私は自分のことをツインレイと言うのはやめました。
でも、ツインレイというものは、ある、と思っています。
ツインレイが無いということは、人間はただの肉の塊であり、脳であり、魂は無いということに等しいと思うからです。
魂は、あると思います。なので、ツインレイもあると思います。
だいたいの人は、この辺りでブログを書くのもやめてしまいそうな気がしますが、やめてしまえば真相が分からなくなってしまいます。
ですのでブログは続けてみます。
私がツインレイをやめようと思った動機はいくつかあります。
①もうその相手と「ツインレイだから」と特別に思うことに特に意味を見いだせない。
②恋愛成就を目標にしているツインレイ情報にうんざりしている。内観、自立は「統合」のためで、いっ時の我慢。「統合」は結婚や恋愛成就と変わらない。いつまでも恋愛に夢を見させているのは、おかしい。相手と結ばれるために頑張って自立しようとしている感じは、色でいうとグレーっぽく、暗く感じられる。キラキラ飾った表面の裏に。
これから、ツインレイだと思った人男性のことは、ただTさんと呼ぶことにします。彼と呼びません。私の彼氏などではないからです。
1週間前、精神的自立について気づきがありました。過去のあの時は、自立出来ていなかったなぁ、と思ったのです。そして、そのことを受け入れました。以前なら、依存的だった自分を恥ずかしいとか、悪かったと思ったことでしょう。
ですが、「あの時は、自立できていなかったなぁ」とだけ、思ったんです。依存的な行動については、
良いものと思いませんが、過去の自分を受け入れることは出来たと思います。
その直後、変な言い方ですが再び再会しました。もう以前のように「いついつTさんに会った」とか、記録もしていないので、単にずいぶん久しぶり、といったところです。
それなのに、会ったことすらしばらくすると忘れ、そういえば、会ったんだった、とふと思い出すくらいのものでした。また時々顔を合わせる環境にチェンジしたようです。
年末、他の男性からのアプローチがあり、少し心が動きましたが、距離を置かざるを得なくなりました。降ってわいた理由なので、私はその方と会うことを断ってもいません。特に何もしていません。
私は自分のやるべきことは、片付いてきていると感じます。大きな仕事をし終えた感じで、しばらく疲れを癒していました。
ようやく疲れもとれてきたので、新しく自分のためにやることを考えたりしているところです。
それでは、また。