インド哲学で言うマーヤーは、幻想、幻の意味であり、この現実世界のことなのだそうです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A4%E3%83%BC
「幻想を抱くな!現実を見ろ!」
なんて言い方は、本来の意味とまったく逆の捉え方をしているってことですね![]()
現実で見えているものが幻想なんだから。
でも、やっぱり現実は本物に見えます。これまでそう思って育ってきたわけで…
じゃあ、マーヤー(幻想)の反対って何だろう。
ちょっと調べてみたけれど対義語は分かりませんでした。
私は、マーヤーの反対は「真実」なんだろうな、と思います。
真実は見えるものではなく、内面にあるのでしょう。宇宙の果てにあるわけでもなく、内面にあるのだと思います。
上に紹介したwikiによると、マーヤーは人を惑わせる力を持つとあります。
なるほど。人は、美しいものに惹かれ、快適な感覚を欲しがり、痛みから逃れます。
現実で知覚できるものに惑わされているということなのです。現実の状況によって、心があっちへ揺れたりこっちへ揺れたりします。こうしたい、
ああしたい、と欲が生じます。
出会い〜サイレント初期では、このようなことはしょっちゅう起こります。
年月が経つにつれ、外側の事象に心が揺れることは少なくなります。それでも全く無くなることはありません(私は)。
相手と少しいい感じになった時、喜びすぎたり調子に乗ると、不思議と後で悪いことが起こったりしました。悪いこととは、ツインレイ相手との関係で起こるとは限らず、他の対人関係などでも起こります。
私は相手とのことで悲しみや焦りなどネガティブな感情はほとんど抱かなくなっていますが、喜びのようなポジティブな感情も、幻想に惑わされて揺れているという点では変わらないということです。
そんな訳で、私は相手と何があろうと、喜んだりするのは控えようと思っているんですよね〜。なんか、つまらないって言えばつまらないですよ。
この世はゲームだと、だいぶ昔の記事にも書いています。ゲームは楽しいけど、ゲームの世界が本当なわけが無いんです。
ゲームの中で億万長者になっても、強い格闘家になっても、プレイヤーである自分自身はそうではありません。
億万長者でゲーム中のアイテムを何でも買える、ゲーム中のどんな敵にも負けない、という体験を、ゲームを通して自分が体験しているのです。
ゲームを通してその気分に浸れます。
ゲームを本当だと思っていたら、どうでしょうか?そんなことは間違っていますよね。
プレイヤーである自分自身の存在を忘れてしまったら?!
プレイヤーである自分自身=魂
この現実世界にはディスプレイもないし、握ってるはずのコントローラーもない。
だから、分かりにくいけれど…。
古代インド哲学や仏教で、この世は幻想だと教えてくれているだけではなく、最新の理論でもこの世は仮想現実であるかも知れないと言われています。
確かめようはないけど、そうである可能性が極めて高いんじゃないかな。
ツインレイは出会いを通して、プレイヤーである自分自身(=魂)を思い出すプロセス。
ゲームのプレイヤーと言うと、何となく自分一人で孤独みたいなイメージがしてしまうんですが、それは違うと思います。
プレイヤー(魂)は、現実世界で何かに例えられる
ような形は持っていないと思います。
プレイヤー(魂)は、おそらく二人が独立しながら融合しているエネルギー体なんでしょう。
魂を第一にしよう、と私は思っています。
現実は第二です。
現実を第一にすると、すごく気分が下がるんですよね。そう考えるのは、どう頑張っても無理があります。
ツインレイは悟りへの旅。
次回は、最近すごく目につく「悟りを阻む罠」について書いてみます。
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