私の気持ちは、彼の気持ちであり、
彼の気持ちは、私の気持ちでもある。
最近、そう思うようになってきました。
チェイサーって、
「自分だけが辛くて、我慢している、反対に相手のランナーは好き勝手にしていて、または、状況を全く変えようともせず、自分も変わろうともせず、苦しんでいない、むしろ楽している。そうして私を苦しませている」
と、思っている節があります。
意識的ではなくても、無意識のうちに。
苦しい時は自分だけが苦しんでいるわけではなく、これは彼の気持ちでもあるし、彼の苦悩は私の苦悩でもある。
彼の苦悩がどんなことなのか?私は具体的には知らないですけどね。
悩みや苦しみの具体的内容がどんなことであれ、関係ありません。それが何であれ、苦しみです。
具体性にばかり注目していてはいけません。その本質を見ていくのです。
原因や対象の存在する悩み事(具体性)
↓
苦しみという感情(他にも不安、焦り、嫉妬など)
↓
ネガティブな感情
というように。
私は自分だけが苦しい、とは思わなくなりました。また、相手のせいだとも。
同じようなパターンが多いと思いますが、はじめに音信不通にしてきたのは彼の方なので、
「相手のせいで苦しんでいる」
と思ってしまっても無理はありません。
全くその通りなのですから。
でも今は、自分が苦しいと感じている心は、
相手の心でもあると、不思議と感じるのです。
相手と自分の心を分けて考えていないということなのかも知れません。
あるいは、苦しみという感情をふたりで背負っているような感じ。
または、ふたりをひとつのものとして見る、第3の視点から見ているような感じでもあります。
意識的にそうなろうと努力したわけではないのに、自然とそうなってきて私個人の心はどんどん楽になってきています。
欲望や執着も、気づいたら薄ーく、ほんと見えないくらいに薄〜くなってきています。
執着をなくす努力とか、多分要らないです。
季節が変わるように、自然とそうなるんじゃないでしょうか。
私は実感としてそう思います。
相手に対する欲望を無くすこと、と、相手を愛することは両立できるんですね。
欲望を無くしたら関心も失い、愛も無くなるんじゃないかと思っていました(無意識的にです)。
この話はもうちょっと広がりそうなので、また改めて書きたいと思います。
今日もご訪問ありがとうございました。
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