今、スターウォーズの映画にはまっている私。

マイブームがもう少し早ければ、去年末の最新映画を劇場で観れたんですけどね。

それは残念ですが、今になったのにも意味があるかも知れません。

スターウォーズはもちろん子供の頃から知っていましたが、内容は知りませんでした。



ここから、映画のネタバレ含みます。



主人公ルークの父である、アナキン・スカイウォーカーは、母を失い、仲間も失いました。そして愛する妻を失うかも知れないと思った時に、ダークサイドに引き込まれていったのです。

そして彼はダースベイダーとなりました。

彼は「愛する者を失うかも知れない」という試練に耐えられませんでした。

師匠のオビ・ワンは最後までアナキンを助けようとしていたのに、アナキンは疑心暗鬼になり、師匠までも自分の敵だと思ってしまいました。


「失うかも知れない、失いたくない!」
ツインレイに会った時、すぐに湧いてきた気持ちです。

心に警鐘が鳴りました。

「そのうち会えなくなる、どうしよう。それまでになんとかしなければ。」

なんともすることは出来ずに離れてしまいました。

「失うかも知れない」

愛してるゆえに、思うのですが、ダークサイドに堕ちないように心を強く持たなくてはなりません。

アナキンの息子ルークも、殺すと脅されて悪者の仲間になるように誘惑されるのですが、ルークは闇に堕ちませんでした。

アナキンとルークの違いについて。

アナキンは美しい妻に魅了されていました。自分が美形であることもよく知っていました。

ルークには妻や恋人、子供がいなかったから誘惑に耐えたのかも知れません。アナキンと違って素朴な青年という感じです。親子だから、顔は似ていなくもないですけど。

自分の痛みより、愛する者を失うということは辛いことです。魅了されていればなおさらです。



愛する者を失ったら、悲しむのは自分。

その後の人生を愛する者なしで一人寂しく生きるのも自分。

自分がそんな風になるのは嫌だ。耐えられない!

逆に、

愛する者が側にいたら、自分は幸せ。

愛する者に触れていつでも安心できる。

だから、愛する者に側にいて欲しい。



こう考えると、愛する者というのは、自分の欲求を向けている対象だと分かります。


果たしてこれは、愛なのでしょうか?


難しいけど、本当に何とかしないといけないのは、相手を失うことではなく、相手に触れて安心したいという自分の欲求なのではないでしょうか。

相手がいないと耐えられない。

相手が居てくれれば安心だ、幸せだ。

素晴らしい相手は、自分の価値をも高めてくれる気がする。

こういう気持ちは、一見、愛の証のような気もしてしまうけど…

愛とは、このような気持ちのことを指すわけではないのですね。

こうした気持ちを乗り越えて本当の愛に辿り付くために、私は進むしかないと思っています。

肉体で会わなければ意味がない、もうこのまま会えずに死ぬのかも知れない、そんなことを事を思うような誘惑に触れても、私は堕ちないと決めました。

辛いと思う日は、お天気の悪い日のように、たまにやってくるでしょうけど。

闇に堕ちない、そう決めても、実際にどうなったらダメなんだろうか?

いや、ダメということなどありません。

映画と違って、意思さえあれば堕ちても這い上がることも出来ます。

私は自分の子供が病気の時、子供を失うことを覚悟しました。私では助けられない、と思った時があったのです。

母親なら絶対に諦めない、自分の子供の命を守る事が出来ないということ。

その恐ろしさは言葉では言い表せません。

私は藁にすがろうとしました。

結局、藁は藁で、助けてはもらえなかったのです。

お金も時間もエネルギーも全て使い果たしましたが、運命が味方して、今、私の子供は生きています。

自分を見失うほどの恐怖で藁にすがったわけです。

現実で闇に堕ちるとは、このようにお金や時間を全て失うことかも知れません。

でも私を騙した人に仕返しなどすれば、もっと深い闇に堕ちることになったでしょう。

こうした経験は全て、私の糧になっています。



彼に会えない(彼を失った)自分はダメだ、価値がないなどと思いません。

私は失うことを恐れません。

〈失う〉は幻想です。

相手に魅了され、自分を見失いません。

私は輝き続けます。

「どんなことがあっても彼を愛している」

と自信を持って自分に言えるようになります。


今回は珍しく記事を書くのに時間がかかりました(^^)