外宇宙の中で、自分は宇宙の中の一つの構成要素である。
広大な砂浜の一粒の砂のようなもの。
沢山の生命体が存在していて、私はそのひとつである。
一方、
内宇宙では、私は一人しかいない。
私の中の宇宙では、私が見ているものは全て私が作り出したようなものだ。
私が出会った人、私が見た情報、みんな、私の一部と言っても良い。
私が出会った人は、確かに生命体として存在していると思うけど、〈私の目に映った〉その人は、私が作り出したと考えても良いのではないか?と思った。
外宇宙と内宇宙は同時に在ると思う。
どちらも矛盾なくあると思う。
悩みがあるときは、内宇宙の考え方を採用する。
そうすると、目に映る人は皆、私の味方になってくれる。
私を助けてくれる存在、大事なことを教えてくれる存在だ。
自分には無いものを手に入れている人がいたとする。
外宇宙の考え方を採用したら、羨ましい、私はなぜダメなの?となるけど、
内宇宙の考え方を採用すると…
私が作り出した人が、手に入れた幸せは、私が手に入れた幸せのようなものだ。
カチンとくることを言ってくる人がいたとする。
外宇宙の考え方を採用したら、その人は敵、避けた方が良い相手である。
内宇宙の考え方をすると…
私に何かを教えてくれる貴重な人である。
私が触れたく無いこと、気づかないことを無理やりにでも気づかせようとしてくれたのかも知れない。
私を鍛えようとしてくれたのかも知れない。
外宇宙の考え方も悪くない。
相手を敵、競争相手と思わなければ。
広大な宇宙に、私もただ在るし、あの人も、この人もただ在るんだ、それぞれね。
それに外宇宙も全体として見ればひとつの生命体だ。
胃の細胞は、足の筋肉の細胞が羨ましいなどとは言わない。
…と思うと、外宇宙の考え方でも、誰かと比べようとか、自分はダメだとか、思わなくなる。
どっちの考え方も、いいように使えるのかも知れない。