ツインと統合するためには、

一度離れて、

一人ひとりで自分の使命を果たさなくちゃならない、

と言われているけど。

私はそうでもないと思っていて…

というのは、

一人ひとり離れているように見えているだけで、

既にふたりはひとつなのだから。


自分のやっていることは、相手が協力してくれている。

だから、相手を知ってからの方が不思議と良く出来るようになっている。

自分のやっていることは、相手に繋がっている。

相手と共同で、

ひとつのものを作っていると思うから。

こっち側からしか作れないものと、

あっち側からしか作れないものが、

あるのかも知れない。

でも、

作っているものは、

見えない世界では、

どちらが何をやっているなんて、

関係ない。

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今、ピアノで

バッハのインベンションという曲集を練習しているのですが、

どうしても何故か、インベンションが弾きたいのは、

ふたつのメロディを右手と左手で弾くからです。

この曲集は、右手が主役ではないのです。

時には反対のことをしていたり、

時にはメロディを追いかけっこしていたりします。

右手だけ、左手だけの練習もするけど、

両手でやった方が分かる時もたくさんあります。

右手と左手は補完し合ってひとつの曲を作っているのです。


自分は左手だとして、左手だけの意識が自分であるとして、

なんかつまんなく、寂しく感じても、

右手と左手の奏でる音を聴いている存在(頭)からは、

両手のやってること、としか思わない。

弾いて、その音を聴く時、

ここは右手のやってること、この音は左が出してる、などといちいち考えない。

ひとつの曲としてとらえている。

そういう、〈頭〉の意識を、想像してみたら、

自分のすることだって、

一人でやってることじゃないんって、

思えます。

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誰でも自分のやることは、

何か具体的なことであると思う。

仕事とか子育てとか。

だけど、本来ふたりで作っているのは、

お互い具体的なことを通してやりとげた、

〈何か〉だと思う。

具体的なことは、目に見えない〈何か〉を学ぶため、表現するための教材、ツールみたいなもの。


インベンションだって、

13番とか名前がついてるけど、

何か厳かな、神様や教会を思わせる

そんなイメージの曲…

(私が練習しているのは13番♪)

言葉では表現し辛い。



やっている具体的なことは何かと言うと、

ドとかミとかを押すということ(^^)


作っているものは、

便宜上、名前を付けているけど、

弾いた側から消え去っていく、

言葉で表現できないもの。