ふと思ったんです。

 

恋愛とは、人間にプログラムされたものである。

 

ツインに出会うと、初めの頃は恋愛だと認識していますが、

 

だんだんそうではないとだんだん分かってきます。

 

人間として普通に生きて死ぬために出会ったのではない。

 

だから、恋愛というプログラムはもうアンインストールして良い。

 

わたしにはもう要らない、必要ないもの。

 

たとえ恋愛をしようとしても、もう出来なくなっています。

 

 

 

 

出会って間もなくて、まだ恋愛かと思っているうちは、

 

人間の彼を求めようとして近づいてみたり、

 

誘ってみたりするけど、うまくいきません。

 

彼が無視したり突き放してくるからです。

 

そのことに苦しみ出します。

 

そうこうしているうちに、恋愛じゃないと気づいていくのですね。

 

そうなってくると、もうそんなに苦しくはない。

 

 

 

苦しむ時期があることは避けられないし、

 

苦しみが減ってきても、時には辛い時もあります。

 

それでも、確実に苦しみは減っていきます。

 

 

 

 

恋愛と同じように、

 

孤独感も人間にプログラムされています。

 

これも要らないプログラムです。

 

孤独だと思っているから、恐怖心が沸き起こり

 

いろんなものにしがみつくのです。

 

 

 

ついでにいろいろ思いついてきたので、書いていきます。

 

 

古いプログラム。

 

わたしの親世代の人たちの考え方です。

 

食うか食われるか?

 

他人に勝つことが全て

 

こんな考え方で育てられたけど、

 

わたしは取り込みませんでした。

 

今の時代、

 

人との競争に夢中になっている人なんかいなくないですか?

 

いるんですかね〜?

 

少なくともわたしには見えなくなってきています。

 

 

 

また今の時代、

 

なくなりつつあるプログラムがあります。

 

わたしが育った時代の考え方。

 

みんなと同じでなければいけない。

 

それは、

 

<みんな>というオバケなんです。

 

<みんな>なんて本当はいなかった。

 

30年くらい前はネアカ、ネクラという言葉が流行っていました。

 

ネアカ=良い

ネクラ=悪い

 

<みんな>そう思っていた。

 

単純です!

 

今考えると、人の個性を二つに分けるなんてばからしいです。

 

そう、昔は多様性は認められていませんでした。

 

テレビで一方的に情報を押し付けられ、

 

インターネットもないし、

 

自分の考えを主張したら、

 

いじめにあうかもしれないんですから。

 

かといっておとなしくしていると、ネクラと言われ(^_^;)

 

ばかみたいです。

 

 

わたしの子ども世代は、

 

全員とは限らないでしょうけど、

 

最初から、

 

上の二つのプログラムを持っていません。

 

恋愛についても、年頃になったらしなければならない、

 

みんなしてるから!自分も!

 

なんて思ってもいない。

 

 

昔は、

 

ありましたよね。

 

恋愛、結婚を焦らせる概念が。

 

女性をクリスマスケーキに例えて、

 

24歳クリスマスイブ、31歳大晦日、

 

なんて言われてました。

 

ほんとにばからしいです。

 

 

その時代は苦しかったけど、

 

終わって良かった。

 

時代の価値観に逆らいながら生きてきたつもりだけど、

 

飲み込まれていたところもあり、

 

わたしの世代は、

 

その後始末を今、しているのかも知れません。

 

 

 

もっと新しいプログラムもあります。

 

これも、なくなってきているものです。

 

外見のきれいなものに価値がある

 

変化することは許せない

 

内面よりも外面を優先した考え方。

 

顔、体の美醜にたいするこだわり。

 

年をとることへの恐怖。

 

現実主義。

 

見えないもの、科学では証明できないことの中にも、

 

本物はあるかも知れないのに、

 

全否定する。

 

既存のものに頼ることは変化を認めないことです。

 

こうした考え方は、

 

今の時代にもまだありますが、

 

だんだん減っていると感じます。

 

そのうち、

 

昭和の考え方みたいに

 

ばからしい、

 

って思う日がやってくるのです、きっと。