
著者は『白い城』『雪』『わたしの名は紅』などで知られており、54歳でノーベル文学賞を受賞した

講演内容「父のトランク」は、作家を目指しながらもその道を挫折した父が生前パムクに遺したトランクを通して、普通の一市民として一生を捧げた父と、作家として一生を捧げようとする息子パムクの複雑な想いを語ったもの

無論「父さんありがとう」という一言では語り尽くせない想いが語られている。
では、パムクは父にどんな想いを抱いていたのであろうか?
●自分は本物だろうか
実際には、父が、わたしのように生きなかったことに、何ごとに対しても小さな衝突すら望まず、社会の中で友人たちや愛する者たちと笑いながら幸 せに生きたことに怒っていました。しかし本当は、「怒っていた」の代わりに「羨んでいた」と言うことができるのを、もしたしたらその方がより正確な語であ るのを、頭の片方で知っていて、心穏やかでなかったのです。(28頁)
そう、パムクが父に抱いた想いとは、ごくありふれた生涯を過ごした父への羨望だったのです!
という簡単な想いでも無論ありません(笑)
この「父のトランク」には、作家を目指していた父が読んだ書物の感想など、文学に関する物が入っていることをパムクは知っていました。
要するに、サラリーマンのような普通の職業ではない(悪い意味で使ってないとご理解頂きたい)、「作家」という職業に身を捧げてきたパムクは、作 家を挫折し普通の職業に身を捧げた「父のトランク」を開けることで、自らの作家人生が否定されてしまう恐怖、自らのアイデンティティーが喪われてしまう恐 怖に苛まれたのです。
そして、その恐怖は「作家」という異色な人生を生きてきた者にとっては、なおかつ「父」という自らの作家人生を見守ってきた者によって与えられるという事は、実に戦慄を覚えさせる出来事であったことでしょう。
さて、先ほど
サラリーマンのような普通の職業ではない(悪い意味で使ってないとご理解頂きたい)
という言葉を使いましたが、実はこれウソです(笑)
「サラリーマン」という職業を普通の職業と定義して、「作家」という職業を特別な職業と定義する
これ軽蔑ですよね。
パムクは次のように述べています
「いつものように、わたしは父の幸せで、悩みなく、陽気な状態を羨ましく見送りました。しかしその日は、わたしの中に幸せなうごめきもあって恥じ たのを覚えています。もしたしたらわたしの人生は父ほど楽ではないかもしれない。父ほど陽気で幸せな人生はできなかったかもしれない。しかしわたしが書い たものはそれに値していたとの思い……おわかりいただけるでしょうか、こういうことを父をだしにして感じたために、恥じたのです」(45頁)
パムクはこう言って、最後に23年前の出世作を書いた時の父の反応の話をして講演を終えるのです

最後の話はご自分でご覧になってくださいね(^^)笑
最後は私が気に入った一節から

「この前書いた小説は第一次世界大戦中のウィーンを主な舞台にしていますけれども、1916年の冬というのは非常に厳しい冬でかつ食料品も不足し ているような状態だった、と概説書には書いてあります。ただ、それだけでは小説にならない。たとえばカフェに入った人間が感じる、微妙に寒いなというその 感じ。1916年がどういう年だったかを書くよりは、むしろ燃料不足による寒さとか、コーヒーがないとか、砂糖がないとか、そういう漠然とした、景気悪い という感じですよね。その中に、もう一度歴史を入れて戻してやるというか、歴史的記述を、具体的な感覚に還元する、と言うか」
「それがジュネーブに派遣されて、果物屋の店先を通りがかって、オレンジがある、果物があるとびっくりして、そこで初めて、おれたちはひどい物質 の欠乏の中で生きているんだと感じるというところがあります。そういう感じ方を取り入れないと、小説としては成立しないでしょう」
(佐藤亜紀176~177頁)
良い文学が語りかけるものは、裁く力ではありません。自分を他者の立場に置くことができる能力なのです。(98頁)