すべての人間は
「痛み」を避けて「快楽」を得る為に行動している
ここで有名な話があるから転載しておくね。
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「3人の石職人」
ある時に、旅人がある町をおとずれた。
そこで、石を運んでいる人に出会った。
旅人は、その人に問いかけた。
「何をしているのですか?」
その石を運んでいる人はぶっきらぼうに、面倒くさそうに答えた。
「見りゃわかるだろう、石を運んでいるんだ!」
とても、いらいらした表情だった。
さらに、歩いていると、また別の人も石を運んでいた。
今度の人は、無表情だったが、さっきの人と違っていらいらした表情ではなかった。
同じく、その人にも「何をしているのですか?」と問いかけた。
今度の人は、たんたんと答えた。
「壁を作っているのです」
そして、旅人はしばらくして、また石を運んでいる別の人に出会った。
この3人目の人は、動作がきびきびとしており、嬉々とした表情をしていた。
その人に対しても「何をしているのですか?」と問いかけた。
すると、その人はとても嬉しそうに張りのある声で答えた。
「私は町を作っているのです」
その人は希望に満ちた表情をしていた。
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ここまで
つまり自分にとっての「快楽」を何につなげているかによってすべての解釈が変わっちゃうんだね。
目先だけを見てる人はそれが「しんどい」か「楽」かでしか判断しない。
でも夢をしっかりと持っていれば、少々の困難があっても平気で乗り越えちゃう。
そして大事なのが、自分にとっての「痛み」と「快楽」を明確にしておくこと。
マザーテレサは人が苦しめられることにとても「痛み」を受け、人を救うことに「快楽」を感じていた。
ヒトラーは人を苦しめることに「快楽」を感じ、人が喜ぶことは「痛み」であった・・・
同じ理由で行動をしていても、その連想の質によって正反対になっちゃう。
僕の快楽と痛みはなんだろう~!
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